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社史・記念誌の参考事例集

s-M社50年史

要素内容頁数写真色数備考
口絵等114
挨拶224
11644
中扉
201
目次
503
通史 製造業(紙・パルプ)M社50年史  通史ダイジェスト 第1章 創業期 第1節 創業者○○○  M社(以後、当社と記載)の創業者○○○は、大正*年、○○○の四男として誕生した。  ○は高校卒業後、T社に就職。製造担当として働く一方、技術者としても腕を買われ、実直な人柄と相まって仕事ぶりは高く評価された。  昭和**年、T社はS社に買収され、工場はS社F工場となる。S社は買収にあたり工場のすべてが分かる社員1名をS社の嘱託として残す条件を申し入れた。T社社長は迷うことなく当時製造課長だった○を推薦した。 第2節 個人事業創業  S社F工場に残った○は、昭和**年*月、製品を箱詰めする構内下請として独立、当社の前身となる個人事業を創業した。  ○の個人事業は、創業2年で従業員20名ほどになっていた。そんな折、S社がT工場を新設しF工場から移転することとなった。○の個人事業は、引き続きT工場で資材全般の作業を請け負うことができた。同時期、N社からも請負作業を受注し、従業員10名を新たに雇用した。 第3節 株式会社創立  経営基盤を確かなものにした○は、個人事業から会社組織に変更することを決め、昭和**年*月、当社「M株式会社」を創立した。  そのころK社は○○市に工場建設を計画していた。K社と面識があったS社T工場長は、新工場の作業請負業者として当社を推薦してくれた。  昭和**年、K社の新工場が操業を開始、当社も工場内に事業所を開設し、業務を請け負うこととなった。  当社は、この時期S社、K社、T社という業界を代表する大手企業と直接取引が始まり、現在に至るまで良好な関係を維持することとなる。 第4節 創業者から受け継いだもの  現会長の○○○○は、昭和**年、父○、母○○の長男として生まれた。少年時代からスポーツが得意で、父の影響もあって中高・大学と野球部で活躍した。  ○○は、大学卒業前に友人と旅行に行くが、父○の体調不良で旅先から戻ることとなる。父○はガンであった。  卒業後、就職先が内定していた○○だったが、父の事業をすぐに継ぐべきと思うようになった。周囲も同じ意見だった。  昭和**年、○○は大学を卒業し、当社に入社。父から教えを乞うべく机を並べた。  昭和**年**月*日、創業者○○○が50歳の若さで永眠した。病と闘いながら仕事に情熱を燃やした末の死であった。  ○○は、この日が早晩来ることは分かっていたが、衝撃は大きかった。わずか1年足らずの事業承継だった。○○は次のように回想する。 「若く何もわからない跡継ぎだから、従業員が不安と心配から会社を辞めても不思議ではなかったが、誰一人辞めず、一層の結束が生まれていた。それは父が従業員を家族同様に思っていたからで、私が大切にしていることだ」  そして、S社T工場長から「おまえに託してみる」と言われたという。この言葉は○○を安堵させ、気持ちを鼓舞させるものだった。 第2章 成長期 第1節 守りの経営  23歳で第二代社長となった○○は、当時を振り返り、ある人の助言が大きかったと述懐する。  それは、○○家の菩提寺 ○○寺住職○○○○の言葉だ。住職は「人生遊び尽きることはない。今を全力であたるために3年間は無になり仕事に徹しきること。友人は大切だが、本当の友人関係は3年間無消息でも終わらない」と、○○に助言をあたえた。  ○○は、3年間仕事に集中し、守りの経営に徹した。 第2節 下請からの脱却    日本の経済成長に支えられたとはいえ、当社の事業は順調に推移、○○は新しい事業展開を模索した。  そして、請負事業を活かした段ボール製造への事業展開を決断した。メーカーとして段ボール箱を製造する。すなわち製函加工作業という下請から脱却を図ることだった。 第3節 段ボール事業の基盤確立  昭和**年*月、○○市で建屋を借りて段ボール製造を開始するが、順調に業績を伸ばし、すぐに手狭となった。そこで昭和**年*月、○○町にS工場を新設。S工場の操業により増産が図られ、オイルショックも必死の営業活動で乗り切った。  昭和**年、年間売上高が**億円を突破。段ボール事業の基盤が確立し、請負事業も新規事業所を開設、当社の成長期となった。 第3章 発展期 第1節 段ボールメーカー誕生    ○○は、段ボールのさらなる拡販は、貼合設備(以後、コルゲータと記載)を持つ段ボールメーカーでなければ実現できないと感じていた。  すでに段ボールメーカーの最大手R社と業務提携にあった当社は、R社S工場のサテライト化要請に応え、○○○市にC工場を建設した。  昭和**年*月*日、C工場でコルゲータの始動式が行われた。○○は「これでようやく段ボールメーカーになった。この業界から逃れず、まっしぐらに進もう」と決意した。  ところが、稼働直後から、まさに逃れられない日々が続いた。それはコルゲータから出される不良品の連続であった。  始動式から3ヶ月、様々な調整を行い、ようやく不良品が出なくなった時には、季節が過ぎていた。こうした労苦とともに「段ボールメーカー」が誕生したのである。 第2節 新製品の開発  当社段ボール事業は、C工場稼働後、独自性を追求した製品開発を進めた。  その一つが、関係先と共同開発した「○○○○段ボール」である。この商品は、特殊な耐撥水加工を施した水産物の冷凍保存用段ボール箱で、従来の木箱からの転換を狙ったものであった。  段ボールのメリットを活かし、紙の弱点を克服した「○○○○段ボール」は、市場で好評を得た。  耐撥水段ボールの一般化が進み、今では独自性はないが、当社が扱っている水産・青果物の段ボール箱には、このノウハウが間違いなく活かされている。 第3節 請負事業への逆風とグループ体制  昭和**年代に入り、大手企業は請負契約において危険分散を図り、工場は製造人員の削減を進めた。このような趨勢は当社の請負事業に逆風となったが、培った信頼をもとに、多様化するニーズに応える高い品質と素早いレスポンス を活かし、その後のビジネスチャンスに繋げていった。  また、縁深い取引先から舞い込んだ新たなビジネスチャンスは、従来の事業内容と異なるため、別会社を設立、当社のグループ体制が形成された。  これらにより年間売上高が**億円を突破、平成*年に創立30周年を迎えることとなった。 第4章 試練期 第1節 大型設備投資  当社は、21世紀へ向けた設備戦略としてC工場に大きな設備投資を行った。  平成*年、新コルゲータと新大型印刷機を導入、さらに一般ケースにおける設備の充実も図った。  好景気とはいえ、ここまでの設備投資は、業界の中でも特筆すべきもので県内随一の設備となった。 第2節 コアビジネスへの専心  平成3年、バブルの崩壊とともに平成不況が訪れた。バブル期、多くの企業が不動産投資に血道を上げ、後に大きな痛手を負った。しかし、当社はコアビジネスに専心し、不況下では不採算事業からの撤退、リストラ、グループ会社再編などにいち早く着手。また、原価管理の徹底、さらに改善活動や5S活動を展開、ISOも認証取得した。  こうした堅実な経営により第**期には年間売上高が**億円を超えた。 第5章 変革期 第1節 創立50周年を見据えた経営戦略    平成**年、当社は会社創立50周年を視野に入れた5ヶ年計画をスタートさせた。○○にとって、社長として最後の経営計画となり特別な思いをもって取り組んだ。また、9事業所を展開していた請負事業は、組織運営の大幅刷新を実行した。 第2節 組織・制度の改定とインフラの充実  平成**年、当社は組織・制度の改定とインフラを充実させた。組織面では本社に安全衛生5S推進室を設置。制度面では新給与・新賞与制度を導入、また、退職金制度も見直し、労働と賃金の諸制度を整備した。インフラにおいては当社公式ホームページを開設。また、社内ITを構築、事務処理も最新システムが導入された。 第3節 人的資源の充実    平成**年頃より新卒採用は様変わりし、当社も就職情報誌からインターネットによる募集へ移行した。  また、平成**年には採用プロジェクトを立ち上げ、ITを積極活用しつつ、会社説明会や学校訪問を精力的に行い、内定者フォローにも趣向を凝らした。  その結果、人材難・採用難で超売手市場といわれたなか、当社は近年例を見ない多くの新卒社員を採用することができた。教育訓練は、入社時の本社合同研修を重視、管理職や次席者のマネジメント研修、昇格・昇進者のアセスメント研修も充実させ、資格取得支援制度も整えた。 第6章 新世期  平成**年**月**日、○○の長男○○○○が当社第三代社長に就任した。これに伴い、○○○○は**年間にわたって務めあげた社長の座を退き、会長に就任した。経営トップの若返りによりさらなる発展向上を図り、経営体制をより強固なものにしていくためであった。  若き船長の船出と老練な船長の思い。船は新たな航海に向かった。 48331中扉、章扉あり
特別企画扉111
座談会871
インタビュー421
一言メッセージ801
寄稿411
資料編801扉あり
年表社内の出来事・日本と世界の動き901扉あり
編集後記社史編纂チーム101
奥付発行:S社 編集:社史編纂チーム101
数字合計
112113