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社史・記念誌制作

弊社の制作理念

社史制作現場の裏話(社史ライターのつぶやき)

 社史は会社が自らの歴史を自ら語るものであるが故に、第三者が客観的に書くものとは決定的な違いが2つある。

●会社が書くことによるメリットとデメリット
 自ら書く場合、当然ながら正しく詳しい情報に基づくことができる。ただしそれは、自らの都合で取捨したり脚色したりし得るから、書かれて発表されるものは信頼性の面で大なり小なり割り引いて評価されることになる。
●第三者が書くことによるメリットとデメリット
 会社と利害関係のない第三者が書く場合、自分が独自に得た情報に基づいて書くのであるから、その情報が正しければ客観的な記述になり、信頼性は会社が書く場合より高いと一般に見なされる。しかしその情報の正しさ詳しさという点では依然として会社自身が持っている情報には及ばない。

 さて、「社史ライター」は上記の2つの立場の間に入る存在である。「間」といってもいわば会社に雇われているのだから、だいたいは会社の立場に近い「間」である。そして社史原稿を書いている間はその会社の「身になって」書こうとする心理が自然に強く働く。また、そうでなければ「良い社史」は書けないのである。それはまず断言しておく。そうした立場からさまざまな裏話に対処することになる。

・テーマ1 失敗談について
 失敗談についてはいろいろな性格のものがある。あるキャンデーメーカーで2種類の売れ筋商品があり、これを一粒で両方味わえるものにしようと、中心にAというキャンデーを置き、その周りをBというキャンデーで包んだが、実際になめてみるとAとBの間で両方の成分が溶け合うことで非常に不味いものが出来た―という笑い話のようなものもあれば、商事会社で市場環境を見誤って大きな損失を出したというようなシリアスなものもある。また労災事故や環境事故など「失敗談」ではすまされない、社会的責任を問われる事故もある。
 このような失敗談は社史に書き残されるべきものである。しかし、実際には会社によってまちまちな指示がライターに与えられる。
1.どのような失敗も将来への教訓として書き残す
2.いわゆる苦労話として書けるものは書き、シビアなものは書かない
3.どんなものでも失敗の話は書かない

 雇われライターであるから指示通り書かねばならない。しかしながらプロの社史ライターなのだからどういう社史が良い社史かということは知っている。だから必ず意見は述べ、ディスカッションはする。多少とも意見が容れられることもあればそうでないこともある。

  ・テーマ2 不祥事について
 日本を代表するような大企業の不祥事のニュースが相次いでいる。1つのパイから取り分を奪い合う競争が苛烈になると道義が失われていくという分析もあるように、個人は志操堅固でもその集団となると勝ち残りのために手段を選ばなくなるというのは一つの真理である。
 だから大なり小なり会社というものには不祥事を起こしやすいベクトルが働いており、それが実現してしまうことが決して珍しくない。
 不祥事について社史ライターが会社から求められる記述の可否はだいたい以下のようなことである。
1.公知となっている大きな不祥事(あるいはその可能性があるもの)は書いてよい。ただし会社としての言い分も書くこと
2.公知となっていない大きな不祥事についてはわざわざ書かないこと
3.公知となっていない小さな不祥事は反省材料として生きるものなら書いてもよい

 以上がだいたいの傾向である。ただし、もちろん例外もあって、不祥事については一切書くなとピリピリした態度で求められるケースもある。ライターとしては内心反発を覚えながらこれに従うことになる。だから「守秘義務」には従うが、なるべくその対象になるような情報は最初からこちらに渡さないようにしてほしいと求めることにしている。

・テーマ3 親会社・子会社の関係について
 このテーマに関わる案件は実に多い。社長が代々親会社から出向してくる会社では、社史はその社長が親会社復帰後に出世できるよう、功績をたたえるのが隠れた主目的になったりしているので、それを露骨でなく自然に表現することが求められたりする。
 親会社によって設立された子会社もあれば、買収されて子会社になった会社もあり、歴史に詳しいというのでプロパー社員が社史編纂委員会の多数を占めているような会社では、記述の可否が二転三転したりすることがある。
 親会社から見て無難な記述で書かれた原稿を編纂委員会から否認され、ライターが交代して編纂委員会の言い分を多数回にわたり取材して盛り込んだ原稿に書き換えたが、その編纂委員会から「親会社に原稿を見せたらこことここを削りこことここを書き直せと言われた」とのことでやむなく応じたこともある。しかしプロパー社員の言い分もそこかしこにいくらか残ったので良し、ということになった。

   ある団体史で、誰が見ても大きな功績者である人物の事績を詳しく書いたところ、その時点での編纂委員会は団体内の対抗派閥で組織されていたため、全面的に改稿を求められ100枚以上書き直したこともある。しかしライターとして最低限の矜恃は守りたいので事実だけは抹消せずしっかり書き残した。ある自動車会社で、誰もが知る名車の開発について、開発者の対抗派閥が編纂した社史にその記述がなく、株主総会で会社側が追及されたという事例があったからである。

 26年間社史の制作現場にいて、社史の価値を上げるものと下げるものに向き合ってきた。昔の社史に比べ、最近では文章を読ませるより写真等を多用して、眺めて終わりにする社史が作られる傾向が非常に強くなっている。写真も何もないが、文章に確かな中味があって熟読させることを目指す、単行本的な社史を推奨したい。現在トレンドだといわれているA4判などの大型判で写真だらけの社史の半額か3分の1の費用で本当の社史が作れるのだから。