自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

エッセイ倶楽部

牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

057. チコすけ

 僕がタバコを買いに出て帰り道を歩いていると。後ろから小さな白黒のかたまりが猛スピードでピューッと追い越していく。チコすけだ。どこかで遊んでいて、僕の姿を見かけて飛び出してきたのである。チコすけは前方で立ち止まり、その辺の草の匂いを嗅いだりなんぞしている。僕が追いつくとまたピューッと団地の敷地内に入って、好きな方向に歩きはじめる。「おい、もう帰ろうよ」と近づくと、チコすけは自転車置き場の中に入って行き、コンクリートの地面に背中をこすりつけるようにして、腹を見せながらゴロンゴロンして遊ぶ。撫でてやろうとすると、ビクン、と跳ね起きて、またピューッと駆け出す。捕まえられて家に帰るのがイヤだ、まだ遊びたいという意思表示である。
 こういうときは、なるべくつきあってやる。いっしょに団地の周りを散策するのが彼の最大の楽しみなのである。
 チコすけは、ひとりで遊ぶとき、駐車場にいることが多い。車にひかれやしないかとこちらはいつもハラハラしている。出入りする車はかなりスピードを出しているときもあるのだ。だが、駐車場がお気に入りのチコすけは、どこかの車の下にもぐって油の匂いを嗅ぐのが大好きで、鼻先をしょっちゅう黒くして帰って来る。
 チコすけがあまり長く帰ってこないと心配になって、駐車場に探しに行く。すぐにのこのこ車の下から出てきてニャーと鳴くこともあるし、しばらく探してもいないので、今日は駐車場じゃないのかな、と思ったころ、ドン、といきなりこちらの足に頭突きをかましてそのままピューッと走って行くこともある。
 こういうのはだいたい夜の話である。昼間はよく寝ている。タンスの上(座布団を置いてやっている)や、本箱の上や、時には天袋の中に入り込んで(そこにも新聞紙を敷いてやってある)、長々と身体を伸ばして気持ちよさそうに寝ている。ネコというのは、寝るところをちょいちょい変える習性があるのだ。
 寝ているときには、なるべくそっとしておく。僕の昼なお暗い仕事部屋のタンスの上で寝ている時などは、電灯を点けないでおいてやる。机の上のスタンドだけで仕事をする。本当に、おまちが言うように「チコ本位制」だ。
 寝顔を見ていると、なんとなくちょっと突っついてみたくなる時がある。そこでちょこっと額のあたりに指をふれてやったりする。熟睡していて何の反応もない時もあれば、ごく小さい声で「ニャー」と寝言のように鳴いたりするときもある。
 本当に寝言を言うときもある。なんとなく悲しげな声で、母親の夢でも見ているのだろうと思える。こういうときは「よしよし」と声をかけながらたっぷりと丁寧に撫でてやる。するとゴロゴロ言い出して、しっぽをパタン、パタンと寝床に打ちつける。ネコがしっぽをパタンパタンさせるのにはいろいろな微妙な意味があって、不機嫌さを示すのだという説もあるが、うちのチコすけの場合はたいてい、なんらかのうれしさの表現であるように思える。
 寝起きの時は、特に人なつこくなるようで、撫でてやるとひときわ高くゴロゴロ言わせる。なでるのをやめると、「ニャ」と短く、しわがれ声で鳴く。しわがれ声は甘えの表現である。向こう向きの横向きで寝ている場合などは、頭だけ起こして上半身をひねってこちらの顔を見上げる。ちょっと独特の細め方をした艶のある目で、撫でてくれと催促しているのだ。撫でてやって、やめると、また「ニャ」と鳴く。

1998.10.07