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牧歌舎随々録(牧歌舎主人の古い日記より)

066. 反戦・非戦は絶対目標たりうるかたりえないか

 「自由主義史観」派の主張などをみていると、戦前の日本を擁護するための都合上そうするのかどうかしらないが、戦争を絶対悪とはしないスタンスをことさら協調しているように見える。戦争を「外交の一手段」だなどと言うのが彼らの常套語である。
 私は戦争や言論弾圧やは「絶対悪」と思っているのだが、そういうのは彼らに言わせれば「思考停止」なのだそうだ。思考にタブーを設けてはいけない、だから思考の過程に「絶対」の概念を採用してはならないということのようだ。
 要するに、事と次第によっては戦争もやむをえない場合があると彼らは言うのであり、日中戦争や太平洋戦争は本質的にそれに該当する正当なものであったと言いたいわけである。
 しかし、そのようなご都合主義的論理は排して、純粋に「戦争は絶対悪である」か「戦争は絶対悪でない」かを考えねばならない。
 すると、「戦争とはいったい何だ」という定義の問題になる。そもそも国というものがなぜ戦争状態に入るかといえば、「国民の利益を守るため」「国民の損害を防ぐため」である。
 だが、戦争に負けて没落してしまった国というものがあっただろうか。未来においてそういう国がありうるだろうか。以下未