牧歌舎で『西田医院100年史』を制作させていただいた呉市の西田医院の西田和郎院長が「医療功労賞」中央表彰10人に選ばれました。表彰式後、天皇、皇后両陛下と面会する機会に恵まれた西田院長は「両陛下は西日本豪雨の被災で『大変でしたね』と気にかけてくださり、私の活動についてもねぎらってくださった」と感激しておられました。
西田医院は祖父である西田琢磨氏が大正8年に開業。和郎氏はこの地域で生まれ育ち、医大卒業後に中国労災病院(呉市)などで内科医や救急医として経験を積み、平成5年に2代目院長であった父・琢郎氏から院長を受け継ぎました。
都会の大病院と違って「全科診療」の地域医院。目にゴミが入った、魚の骨がのどに刺さった、包丁で指を切った——住民の「かかりつけ医」にはさまざまな患者さんが訪れます。自宅は医院の2階にあり、急患があれば休日でも夜間でも対応。医院まで足を運べない高齢者宅への往診も。小学校の校医や幼稚園の園医を務め、特別養護老人ホームの嘱託医も引き受けて、子どもからお年寄りまで地域の住民と幅広く関わってきました。
平穏な日常は2018年の西日本豪雨で一変しました。大雨 で地域一帯が浸水し、院内も高さ1・2メートルまで泥水が侵入。レントゲンや心電図などの検査機器やパソコンだけでなく、カルテや薬なども水没。事務長を務める夫人と、これを機に「閉院」を真剣に相談するまでになりました。しかし、それでも、水が引いた9日には「薬がなくなった」と患者さんが訪ねてきます。本来「待合室」だった場所で応対し、かろうじて確保できた糖尿病薬や血圧を下げる薬を処方。患者さんから『助かった』と言われたことで、「頑張ってやるしかない」と決意します。そして半年以上もかけて、おおむね元通りの診療ができるまでに再建を果たしました。
今年1月の能登半島地震では多くの病院や診療所が被災しました。西田院長は、「私は周囲の支えがあって診療所を再開できた。いろんな方が支え合ってもらえれば」と気遣う言葉を語っておられます。
この受彰は牧歌舎制作による『西田医院100年史』の通史や豪雨記録の記述を呉市医師会が推薦したことがきっかけになったもので、当社スタッフ一同、まさに望外のビッグニュースでした。
『西田医院100年史』(牧歌舎制作)