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電気釜

 もし電気釜というものがなかったら、さだめし不便なことだろう。薪を切ってきて、かまどで火をたいて、注意深く火加減をみながら炊飯しなければならない。それが、スイッチをポンと入れておけば勝手に炊いてくれて、保温までしてくれる。電気釜とはじつにありがたいものである。
 にもかかわらず、炊けたことを報せる「ピーピー」という音が耳障りだという話がある。波長がどうだとかで、「人にやさしくない」のだそうである。かといって、では昔の電気釜のように「ピーピー」がなければいいのかと言うと、それでは不便だと言う。ぜいたくも極まれり、の観がある。
 メーカーも消費者も、良い製品を求めること自体は自然であり、またいいことでもあるだろう。しかし、とかくケチをつけるのが当たり前になっているのはどうかと思う。私が作る側だったら「ちょっとぐらい感謝しろ」と思うだろう。だが、市場経済では、メーカー同士の競争という事情があって、消費者に少しでもより好まれるものをメーカーは作らなければ脱落する。だから消費者は言いたい放題である。
 資本主義社会では、企業はとにかく憎まれる。消費者は電気釜がなければ困る。困るから「やむを得ず買わされる」。つまり企業に金をふんだくられるという感覚である。企業の方も、じつは消費者の便利のみのために電気釜を作っているわけではない。むしろ、理想はともかく現実には利潤獲得を優先的な前提目的として作っているのである。だからこそ憎まれもし、ちょっとでも欠陥があれば叩かれる。もちろんそれでいいのだが、ただいいとばかりもいっておれない。
 労働者だって、そのことのゆえ(金をふんだくられるゆえ)に企業を憎むなら、自分の労働の動機もまた必ずしも理想的ならざることを認めなければなるまい。電気釜工場に働く者は、消費者に利便性を提供することを最終目的としているのでなく、最も現実的なことをいえば賃金獲得を最大の動機として働いているのである。
 他人を憎むことも、自分が憎まれることも、認めていくのが資本主義社会ということか。

 それにしても、この文章のジャンルは「生活」でよかったんだろうか?