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社史編纂・記念誌制作

     
「読まれない社史」よサヨウナラ。社史は必ず「面白いもの」にすることができます。

社史づくりへのご案内  ―押さえておきたい「社史制作の5原則」―

社史って何?― から考える

 近年、企業の周年記念事業として社史の刊行が広く行なわれるようになりました。そうした節目に制作した社史を贈呈しあうことが、企業間交流の新たなトレンドにもなってきているようです。
 しかし、社史とは何か、社史づくりの意義は何かと考えてみると、これは分かったような分からないような問題です。社史をつくったからといって会社にとってのメリットがすぐに目に見えて現れるわけでもありませんし、社史をつくらないからといって日々の企業活動に何か不都合が生じるというものでもありません。
 「社史」という言葉は、昔は、会社が「わが社のプライベートな記録」という私的で固有名詞的な意味合いでそう呼んだのが使われ方の始まりなのですが、今ではすっかり普通名詞化しています。そこまで社史づくりが一般化してきているのは、なぜなのでしょうか。
 弊社が社史づくりをお手伝いする会社の経営者の方に「なぜ社史をおつくりになるのですか」とお尋ねしますと、圧倒的に多いお答えは「残したいから」というものです。次に多いのは「伝えたいから」です。その2つのお答えの目的語は「歴史を」ということになると思いますが、それはたいていの場合、それほど明瞭には語られません。つまり、「残したい」「伝えたい」のは「歴史」ではあっても「単なる歴史」ではないのです。社史ってニャンだ?そこにはまず、「会社の自分史」ともいうべき人間的な思いが込められていることを押さえておかなければなりません。そしてまた、それだけではないことも感じ取れます。つまり、その「企業の自分史」には、さらに、何となく漠然とではあるが、「広く共有され得る」意義があってほしいという、個別のメリットを超えた、いわば「人類的な」テーマあるいは「願い」が根底にあるように思われるのです。「誰でも、わが社の社史から学ぶべきものがあれば、読み取って役立ててほしい」という、ある意味において非常に日本人的な感覚でもあります(ちなみに、欧米では、会社が「社史」を発行するという文化は日本のように一般的ではないようです)。こうしたことを踏まえて、日本でつくられている社史とは何か?、良い社史をつくるための方向性の取り方は?、ということを整理してみました、

弊社が考える「社史」の定義――社史の本質は「経営史」  (牧歌舎方式1―経営史として書く)

 そもそも「社史」とは何でしょうか。

 社史を普通に「会社の歴史」とだけ考えてつくりますと、内容が非常に漫然とした統一感のない印象の作品になるものです。そのため、制作途中から「このやり方でいいのだろうか」と悩んだり、完成後に「もっと充実感のあるものにするやり方があったのでは」と不完全燃焼のような思いを抱く結果になってしまったりするものです。
 なぜそうなるかと考えてみますと、社史は「その会社自身が作るもの」ですから、ただの「事実の記録」でなく、「会社が主語になった会社の自分史」としてまとめられていなければ読んでいて「ピンと来ない」ものになるからです。さらに、意識して「会社の自分史」にしようとはしても、会社にとっての「自分」とは何なのかがはっきりしないために、結局は年表をただ文章化しただけのようなものになってしまうからです。
 そこで、「会社の自分史」というときの「自分」とは何かということを突き詰めて考えた結果、牧歌舎はそれを「経営者」とすることで自分史として必要な脈絡がつながることを見出し、「社史は経営史である」と定義しました。つまり、社史は単に無限定の「会社の歴史」でなく、会社がどのように経営され(つまり経営者がどのように経営し)たか、どのような経営課題が起こり、経営者がどのように経営判断をし、どのような経営戦略を立てて、そして経営状況がどのように推移したかを記した「経営史」として書かれて初めて「社史」になる、というのが当社の考え方です。
 「社史は経営史」と言えばいかにもあたりまえのようですが、実際には会社で「社史」をつくるというときに、それを単純に「会社の歴史」と思ってしまい、「会社」は抽象的な言葉なので「自分」という具体物に置き換えられず、そのため社史を「会社の自分史」として実現することができないという事情が多く見られるのです。これを「社史」と言わず「経営史」と言えば、抽象的な「会社」の歴史を具体的な「人間史」に変換でき、生きた人間の言葉で語ることができるようになります。「経営史」と定義して初めて「会社の自分史」になり得るというのは、そういうことなのです。
 「社史は経営史で、それを会社の自分史としたときの自分は経営者」と言えば、それでは一般社員(従業員)は「社史=会社の自分史」の「自分」になれないのかといえば、ここが肝心なところです。「社史は経営史」と定義するときの「経営」者とは、通常の意味での「経営者」だけでなく、実際の、真の意味での経営者、つまり「経営者意識を持ったすべての社員」ということになります。会社全体の経営をするのはもちろん「役員」と呼ばれる通常の意味での「経営者」ですが、部署部署ではそこを任された人が会社の「経営」を成功させるために(つまり経営者意識を持って)、工夫と努力を重ねます。これで「経営」が実現し、「経営史」が成立するのです。
 もちろん、一般社員(従業員)は労働者ですから、だれでもいつでも「経営者意識」を持つわけではありません。しかし、ただただ報酬のためだけに働くというのは却って苦しいものです。人間には「自己実現」を求める心があり、仕事を通じてそれができるならしたいのです。ですから創意工夫や努力をしようとするのです。それができないような会社、経営者意識を通常の意味での経営者だけが独占している会社の社史は、いくら儲かっている会社でも「経営史」は貧しいものになるでしょう。経営の三大資源は「ヒト・モノ・カネ」と言われますが、「ヒト」を「モノ」「カネ」と同列に置くわけにはいきません
 さて、「経営史」と言えば何か難しい高尚なもののようですが、要はその時どきの経営が行われた経緯や個々の経営事象の「いきさつ」を記すということです。これらの動きの経緯が具体的であればあるほど、関係者なら身を乗り出して読むことでしょう。もちろん、企業秘密をはじめ伏せることが正当な判断である場合もあり、何でもかでも書けばいいということではありませんが、基本は間違いなく「積極的にありのままを書く」ということです。資金繰りの苦労や、技術上の失敗談などは積極的に書かれない傾向がありますが、ここというところでそういうこともしっかり書いてこそ本物の社史になるというものです。少なくとも、良い社史にするために必要ならば、ギリギリまでは書くということでなければなりません。
 考えてみてください。私たちが日本史でも世界史でも技術史でも文化史でもおよそ「歴史書」というものを読むときに「知りたい」と思っているのは、その対象が今日に至るまでの実際の「いきさつ」ではありませんか? そしてなぜ「いきさつ」を知りたいかということを突き詰めて考えてみると、それはその「いきさつ」を「ヒント」として普遍化し、自らの生き方や考え方、行動のあり方をより正しく良いものへと高めるための糧にできないかと考えるからではありませんか? 現在あるものの歴史的経緯を知りたいという興味、関心は、そのようにより正しい「解」を得ようとして模索する、人間の本源的な「知的欲求」なのです。「経営史(会社経営の歴史的経緯)を書く」ということは、関係者を含む読者のそうした人間的な知的欲求に積極的に応える作業であり、社史の価値は、結局、その成否で決まります。

必ず「背景史」を

 一企業の経営史といえども、立派な「歴史書」です。社史(company history)はcomhistory(コムヒストリー)と書き表されることもあり、そこには自ずとコミュニティーの歴史というイメージが字義に含まれてきます。一つのコミュニティーの歴史は世界史など大きな「歴史」を成り立たせる部分であると同時に、大きな歴史の中に成り立っている部分でもあります。その意味で、社史もリアルタイムの背景を含む背景史と切り離しては成り立たないものです。上記の「いきさつ」を語る社史は、当時の世相、政治・経済・文化の背景、技術環境などを有形無形に反映したものになります。その会社のことばかり書くという視線ではその会社のことは書けないのです。社史編纂は「歴史書」を書くという大きな仕事をする意識のもとに取り組むべき作業です。

時代々々の「課題」を意識して書く

 会社というものは、必ずその時代々々の「課題」を持っています。創業時には仕事を継続可能な事業として成り立たせることが一番の課題ですし、そうやって経営基盤が出来たら、規模や事業内容の拡大・発展という課題が出てきます。そうした目標的課題は別にしても、ただ存続するだけでも課題が必ず出てきます。競争社会であることと、時代の流れという二つの基本条件の下に、経営環境が変化するからです。発展よりも、むしろ「存続」が問題であって、存続のための課題をどう乗り越えたか、あるいは正面から乗り越えられない場合はどう回避しどう解決したか、というようなことが必ずあって、会社は現在に至っており、それこそが発展であると言ってよいのかもしれません。存続を第一義としながら、結果的に発展していく、進化論的でもあり弁証法的でもあるのが会社の生の歴史です。ですから、どこかに生々しいものを感じさせることこそ「本物の社史」の証明と言えるかもしれません。

社史の目的?

 インターネット上には「社史の目的」についていろいろなページでいろいろなことが書かれています。その多くは、「社史を制作する目的にはいくつかがある(関係者への謝恩,社員教育に利用,会社PRに, etc. )、その中でどの目的に重点を置くかを決めておかないと作業方針にブレが生じて困ることになる、だから最初に制作目的をはっきりさせておかなければならない、と説いているもののようです。
 しかし経営の歴史的経緯を知りたいという読者の本源的な知的欲求に応えることを第一の「目的」として掲げているものがないのは不思議です。おそらくは「社史の目的」を説く当人が、社史を含む歴史書の本質的な目的を理解できていないか、あるいは何らかの功利的な意図が本質的な目的の上に置けるように誤認しているのでしょう。そこに「目的」として挙げられているのは社史の功利的な「側面」ばかりです。そういう「実用的な価値」は会社が社史を作る労力や費用の対効果として検討されて然るべきですが(本稿でも後述します)、それらは社史本来の「目的」とは厳しく峻別されなければ、肝心の歴史の歪曲を許すことにもつながりかねません。「価値ある社史」を残すために心すべきことです。

 また、最近は「企業アーカイブ」という言葉が流行っていますが、良い社史は決して単なる企業アーカイブではなく、そうした読者の「人間的な」知的欲求に「人間として」応えようとするクリエイティブな作品でなければなりません。  

経営史=会社の自分史の書き方の基本――社史の主語は「当社は」  (牧歌舎方式2―「当社は」を主語として書く)

 正しい歴史記述のためには「客観性」が当然求められますが、そこにとどまっているだけのものは「社史」ではありません。客観性を備えた内容が、企業としての主観の下に記述され、表現されるということでなければなりません。自分の人生について客観的な事実を並べただけでは「自分史」にならないのと同様です。「社史は経営史である」ということは、「会社を人間として書く」ことなのです。自分史の文章の主語が「私は」であるように、社史の主語は「当社は」でなくてはなりません。社史は「当社は」を主語にして自分史のように書くのがコツなのです。
 詳しくは「弊社の制作理念」の社史の文章の主語社史の文章の本当の主語をご覧ください。

 「社史は経営史」といえば経営者(経営陣)が主人公で社員は脇役のように思われるかもしれませんが、それは全く違います。「経営史(会社経営の歴史的経緯)」において、社員の動きが無関係なわけがありません。優れた歴史書はその中に置かれた人々の歴史を動かす姿や思いまでもを彷彿させて読者の知的欲求を存分に満たします。優れた経営史はそのようにして社史本来の目的を果たすのです。また、社史の主語は経営主体を概念的に示す「当社は」ですが、社員(経営者も含む)の活動を記述する場合は「当社」による紹介という気持ちで語るようにするのがコツです。

社史はであることを確認  (牧歌舎方式3―文が本体、写真は資料)

 最近の社史はA4判などの大型本が多くなり、記述のあちこちにカラー写真が多数配置される傾向にあります。その傾向が高じて、写真が主役のような編集コンセプトのものが増えています。つまり、「文としての社史」は、現象的には後退してきているのです。
 写真の多用は昨今の、特に若者の「文字離れ」に対応したものと言われ、「読ませる工夫」と説明されることも多いのですが、写真に過度に依存することは禁物です。文としての記述内容を補うものに限定されるべきなのです。きれいなカラー写真をたくさん使ったからといって「読ませる工夫」にはなりません。むしろ肝心の「文」を読ませないという逆効果さえ生じます。読ませるために写真を使うなら、少数、できれば1枚の写真で記述内容を補い、読みたくなる効果のあるものを使うべきです。


    1枚の写真で「文」を読ませる

社史制作イメージレイアウト通史


 洋の東西を問わず、写真や挿絵入りの歴史書は多数出版されていますが、特殊なものを除いて、歴史書の本質は「文」にこそあります。「人が人に言葉で伝える」のが歴史書であり、写真や挿絵はそこに添えられる「資料」なのです。当たり前のことですが、昔の本を読む私たちにとっても、今作る本を将来読む人にとっても、「どのように文で書かれたか」が眼目なのです。手っ取り早く見られる画像や映像が表現手段として前面に出てくる中で、言葉が後方に押しやられると、歴史というものは書き残せなくなっていきます。「文が本体、写真は資料」は当然の前提なのですが、つい踏み外しやすい原則ですのでしっかりと心しておかねばなりません。
 牧歌舎のモットーは、冒頭に掲げたように、

     「読まれない社史」よサヨウナラ。社史は必ず「面白いもの」にすることができます。

というものです。絵や写真で「読ませる工夫」などと言うのは、社史がもともとつまらないものであると認めたようなものです。つまらないものをなんとか読ませようと姑息なことを考えるのでなく、読者から真に知的な興味や関心を持って「読まれる」条件を確認してください。

 ページレイアウト上の飾り同様、製本上のデザインに凝り「すぎる」のも考え物です。将来において社史が参考にされるのはその記述内容であって外見ではありません。

ハイコスト社史とリーズナブル社史

 社史制作費は高いものと一般に思われていますが、それはいたずらなハイコスト化によるところが大きいものです。ハイコスト化とは、中身の文章や写真は同じでも、ファッション誌や広告印刷物などで用いられるグラフィックデザインを取り入れて視覚的な魅力を持たせるもので、見出し文字に画像化したデザイン文字を使ったり、罫線などの定番要素にオリジナルな装飾的描画を用いたりすることで美術的効果を高めています。社史そのものの価値を高めるものではありませんが、昔の質実な社史と違って、最近はそれを付加価値として驚くほどのハイコスト化がされているのが実情です。ある意味において時代の反映であり好みの問題でもあるので、当社でもご要望があれば1~2割増し程度の費用で同様のものを制作しますが、世に行われているハイコスト社史の制作料金はそんなものではありません。しかも、社史は本質的に歴史書という書籍であってファッション誌や広告印刷物ではありませんから、グラフィックデザインの過剰な採用は作品自体の制作思想を破綻させるのですが、まだあまり気づかれていないようです。牧歌舎は書籍制作の基本であるエディトリアルなセオリーと感性をこそ重視し、ハイコスト化を積極的に採らず、尋常なエディトリアルデザインに依拠したリーズナブル社史制作を基本方針としております。

 弊社での現時点におけるリーズナブル社史・記念誌制作費用の一例(並製本の例)は制作料金早見表こちらからダウンロードしてご覧いただけます。


「内部向け」>「外部向け」であること  (牧歌舎方式4―内部が先、外部は後)

 社史の基本的な組立は、「口絵」に始まり、経営トップの「挨拶文」、取引先などからの「祝辞」と続き、メインの部分である「通史」、座談会などの「企画ページ」と展開したのち(「企画ページ」が「通史」より前に来る場合もあります)、業績推移グラフや組織の変遷図などの「資料編」および「年表」で締めくくり、最後は「編集後記」「奥付」で終わる形になります。
 こうした基本形を一応認識した上で、制作開始にあたって「企画」を行うわけですが、ここでまず最初に考えておかなければならないことは「社内向け」という感覚を「社外向け」より優先させるということです。「両方とも同等に」という選択肢も考えることはできますが、実際にはうまくいきにくいものです。「内向き」か「外向き」かの度合いで、原稿内容や編集の仕方、全体構成、製本形式や装丁デザインの方向性も決まりますので、よく確かめておく必要があります。作業の方向をブレさせないという話題が上記にありましたが、実際にはここがブレを防ぐ最も基本的な分岐点であって他はその後の派生的なものにすぎません。(「内部向け」「外部向け」を必ず第一番に考えるこの「牧歌舎方式4」は基本コンセプト確認の方法として現在広く普及・定着してきています)

 肝心なことは、「社内向け」の社史、少なくとも「どちらかと言えば社内向け」の社史こそ、良い社史になるということです。○○周年で社史をつくるとなれば、自ずと記念誌的色彩を帯び外部の人に見てもらうことも考えた内容になることでしょう。それはけっこうなことで意義もあることですが、そうであってもなお、「「内部向け」>「外部向け」」は社史が社史であるための最低限の条件です。

「社史」とは会貢献——が本道  (牧歌舎方式5―社業への誇りを土台に)

 企業活動の直接的目的は利潤の追求ですが、その利潤とは生産物を介しての社会とのギブアンドテイクの結果と考えるのが市場原理に即した考え方です。それを今一歩踏み出して、社会へのギブというのはビジネスを通じた「社会貢献」であると堂々と言えてこそ、社史は「理念」をもったものになります。
 そうであってこそ、上記の「価値」もくっきりとしたものになるのです。
 これはいかにも当然のことのようですが、なんと言っても企業の直接的目的は利潤の追求ですので、「社会の役に立つ」「社会の役に立ちたい」「社会の役に立ってきた」ということに強い思いを込めなければ記述内容はリアリティーを失ってしまいます。
 自信を持って、社史を自社の「社会貢献史」として書くことこそ、社史づくりの本道です。これは自社への強い愛情と誇りに裏打ちされて初めて実現できることで、漫然と歴史を追うだけでは不可能です。社史づくりを始めるにあたって、まず押さえておいていただきたい第一のキーポイントです。
 「自分の仕事への誇り」――これこそ、人が堂々と社会に生きるための最も根源的な強い精神の支柱であり、自信、意欲、勇気、ひいては他者への尊敬、愛情など、肯定的な価値観の源泉でもあります。個人にとっても会社にとっても、社会への貢献という事実認識を通してもたらされる「自分の仕事への誇り」は、まさに社会の中で生きていくための原動力なのです。社史を作るにあたっては、常にこのことを念頭に置いておきたいものです。

<メモ1>社史は企業の「命の記録」―「魂の社史」を!

What is 社史?

 社史について、「大きな会社がただ『箔付け』のためにつくるものだ」とか、「その歴史を都合良く記述するものだ」とかいう批判的な角度からの見方は昔からあります。国の歴史書ですら為政者の意向で事実を脚色したり隠蔽したりしてつくられているというのが定説ですし、歴史書はそれをつくる人の立場で記述されるものであることは認めないわけにいきません。
 けれども、そういうことをもふまえた上で、社史の本質は企業の「やむにやまれぬ命の記録」であり、「言葉にならない意思」を最大の動機として書き残される経営史なのであって、きわめて「人間的な意味の深い」制作物であると当社は考えています。
 その動機は、大企業に劣らず中小企業にも当然あるものです。大企業には大企業の、中小企業には中小企業の「やむにやまれぬ命の記録」が書き残されるべきと当社は考えます。
 人はなぜ「書き残す」のか——これは考えていけばいくほど興味深い哲学的なテーマであり、また「言葉を持った生物の生理」という科学的なテーマでもあり得ます。答を出すより考え続けることに価値のある問題であるといえるかもしれません。
 私どもは、こうした基本認識に立って、企業様の求められるものをより深く理解し、より深く表現できるようにと努めながら、社史づくりのお手伝いという仕事に日々取り組んでおります。

<メモ2>社史の「実用的価値」

 社史づくりに取り組むときには、上記しましたように、まずその「本質的な目的」をはっきりと自覚しておきたいものです。
 ……その上で、社史の価値・効用について実用的な角度からもう少し具体的に明文化したかたちでまとめてみますと、大略次のようになります。

1.未来への道しるべとして

 温故知新……「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と読まれるこの言葉の真意は「過去の事実を再研究して新しい方法を発明する」ということです。社史づくりは会社の歴史を噛みしめながら明日への新たな道標をうち立てる営みです。

2.社員教育の資として

 社員、特に若い社員にとって、自社の歴史への深い理解は仕事への意欲と誇りの源泉となります。何よりも、自社の成り立ちについての正確な知識こそ、真の愛社精神を生む土壌です。その意味で社史は絶好の社員教育のよりどころといえます。

3.歴史を築いた先人や取引先への謝恩に

 創業期から社業発展につくしてきた先人の労苦をしのび、また、長く貴重なパートナーシップを保ってきた取引先や関係者の人々に謝意を表すため、社史はこの上ない記念品となります。

4.好機ををとらえた強力なPR材に

 「創業○○周年」「会社設立○○周年」「創業者生誕○○周年」などの「節目」は、自社を改めて各方面に広くPRすべき絶好の機会です。このチャンスを生かすためにも、社史は最も効果的なツールとなります。

 他にも、「業界史、ひいては日本産業史としての意味がある」「経営上のヒントが得られる」「実際の業務に資料として活用できる」などのメリットも挙げられます。このように、会社の歴史を「本として残す」ことには測り知れない深い意義があるのです。

 このほか、上記のような本筋の「実用的価値」とは別に、「社史のビジネス戦略的効果」も現実には無視できないものです。これについては、

<メモ3>>社史の歴史と最近の傾向

 明治中期に日本が産業近代化の道を歩みはじめてから1世紀以上になりますが、太平洋戦争以前は社歴の長い企業の絶対数が少なかったことなどから社史が発刊されることはあまり多くありませんでした。戦後の復興期を経て、高度成長期に入った昭和30年代からは戦前創業の会社が社史を刊行するケースが増えはじめ、昭和50年代以降は、戦後創業会社がこれに加わって、社史の発刊数は飛躍的に伸びました。さらにオフセット印刷の普及や電算写植の発達、最近ではDTPの進展で、社史の制作は企業規模の大小を問わず、周年事業の代表的なものになってきています。
 以前は社史といえばいかめしいイメージで、箱入りの豪華本というのがほとんどでした。これは企業の堅実さや伝統の重みをアピールすることが重要視されたからです。今でもそのスタイルが主流ですが、時代の移り変わりとともに新しいコンセプトにもとづく作品も数多く現れてきています。
 いわゆる重厚長大型から軽薄短小型への産業構造の転換後は、上記の「牧歌舎方式3」でも述べたように、一般的な活字離れの傾向も手伝って、文字よりも写真などの図版を多く取り入れる傾向が現れました。何百ページというものは減り、数十ページ―100ページ台のものが多くなっています。また、その反面、製本は親しみやすい並製本にしながらも、やはり文字中心で「熟読される」ことを求める企業もあり、この場合はA4判やB5判などの大型本ばかりでなく、携行しやすいA5判や四六判の単行本タイプも採用されています。

<メモ4>優れた社史は「文学」にも

  経営史として「企業の自分史」となっている社史は、「文学作品」としての価値を持ち得るものです。
 「社史は文学である」と言えば、「それは違う。社史はあくまでも事実の記録であるべきで、文学などであってはならない」という反対意見があるかもしれません。しかし、『古事記』『日本書紀』をはじめ『大鏡』『増鏡』、『太平記』『吾妻鏡』などの歴史書が日本文学の一ジャンルとして確立されており、諸外国においても多くの歴史書が同様に扱われている事実からも、優れた歴史書の文学性は明らかです。社史が「読んでも面白くないもの」と思われているのは、実はそれが単なる「会社の歴史―客観的記録」であって「経営の歴史―会社の自分史」になっていないからです。「会社の自分史」になっていれば、誇張や脚色のない淡々とした記述であっても、読み手は興味を覚え、ぐいぐいと引き込まれ、感動します。そのような社史づくりを目指してください。


社史ってニャンて面白いんだ!


社史って面白い!



   

                                    (友情出演:牧歌舎元相談役おすず氏)

                                                                                 
 

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