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社史編纂・記念誌制作

社史に学ぶ

「争う是非、学ぶ是非」

 これまで多くの社史を書き、それ以上に多くの社史を読んだ。
 社史において、通史は「会社の歴史=経営史」を記述するものだ。たいていの通史は、山あり谷ありだが、納得と感心で読み進む愉しみが持てる。
 しかし、愉しみなどと言っていられない通史があった。第1章から社長の恣意的・弾圧的なワンマン経営、社内紛争、ストライキ、労使合意の裏切り、悪意ある根回しなど、最初から「ドロドロの通史」である。そして、1人の幹部が苦悩の末、立ち上がり、何人かの部下が一大決心し、皆で新しい会社をつくるのだが、「ドロドロ」は終わらず、元経営者の逆鱗に触れ、圧力で注文も減り、挙句の果て、訴訟に至るのである。 通史の本質は正しい記述である。正しい記述とするには、特にヤマ場は経過(単に時間の流れ)では説明不足だと思う。経緯(=いきさつ)とすべきではないか。いきさつは、入り組んだ事情の説明、展開の筋道を意味する。「ドロドロ」は、原因から結末まで詳しく筋道を立てて説明している。
 結果として「ドロドロ」は、会社の存続を決定づけ、成功談となった。だからこそ会社は、当時の社員の勇気ある選択と行動をいきさつとして残したのであろう。
 話は変わるが、某会社の管理職2人が、不適格な昇格昇進、絶えない労働問題、高い離職率など、その原因は社長の理不尽な経営にあると私に会うたびに語る。愚痴やぼやきではない、いい会社にしたいと真剣に相談される。問題に向き合えば、もはや改革ではなく変革・革命が必要だ。彼らにいい会社にするための覚悟がどれほどあるのかと思った。
 私は、切羽詰った彼らに「ドロドロの通史」を読ませた。彼らは当たり前のように理解した。しかし、彼らは否定した。彼らの答えは「自分には養う家族があるので冒険できない」、「まず自分がやれることをコツコツとやっていきたい」だった。
「ドロドロ」の中の社員たちも同じだったはずだ。しかし、変革・革命を起こした。一方で大きな痛み、犠牲が伴ったに違いない。通史は指導までしてくれないが、いい会社をつくるための“相当な覚悟”は正しい記述の行間から読み取ることができる。あとは読み手があるべき姿の教示と読み解き、学びに繋げるかだ。
 その後、管理職2人は私にあまり語らなくなった。諦めたのかもしれない。しかし、彼らが「ドロドロの通史」を読んだことに意味はあったと思う。「ドロドロ」が少なからず彼らの心に響き、何かしらの気づきに繋がったはずだ。
 争う是非も、そこから学ぶ是非も、読み手が決めればいいことだが、私は時には社史が人生や仕事のバイブルとなることを信じたい。社史は未来の社員が読むのだから。


 

ライター S.S.