自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

社史編纂・記念誌制作

社史に学ぶ

10年を推敲する

 1年ほど前、紙・パルプ製造業 M社の50年史ダイジェストを書かせていただいたが、実は、M社はかつて私が在籍していた会社で、50年史は社史編纂管掌として携わった。

 通史は、紆余曲折あってほぼすべて私が執筆した。私にとって社史ライティングの原点だ。当然、業務として書いたのだが、元々書くことが好きだったし、使命感と期待感で、気合いも入っていた。

 久しぶりに全編を読むと当時のことを思い出して懐かしくなった。さらに読み込むと自分の文章だと確実に自覚した。振り返ると当時OBなどを取材したが、私も長く勤務し、会社も人も分かり過ぎていて、語り過ぎ=書き過ぎているところがある。テンポの良い書き方で「どうだ、これでもか」と捲し立てるようなところもある。書き換えするほど駄目ではないが、少し恥ずかしい。

 その原点から10年が過ぎた。この10年で私は現役世代を終えた。このくらいの年齢になれば皆そうかもしれないが、多くの別れに落ち込み、新しい出会いに救われる。私の場合は自分を変える気づきもあった。例えば、茶道を学んだり、音楽はクラシックを聴くようになったりした。恰好つけた言い方をすれば、心の豊かさと美しい所作が生き方のゴールのように思えてきたのだ。

 生き方としては、この10年の中でライターという仕事を始めたことが、大きな変化でこれが本題だ。技術と経験を蓄え、職業とする覚悟と人間性を含む姿勢を自分なりに正したつもりだが、実際どうだろうか。

 朝日新聞の天声人語を執筆していた辰濃和男さんは「文章の書き方」で「品格のある文章や均衡のとれた文章はそういう生き方をした人でなければ書けない。心のゆがみは、その人の文章のどこかに現れる」とおっしゃっている。

 また、ライターになるきっかけを作っていただいたT社長から「社史は冷静に事実を語る抑制の利いた記述を心がけること。淡々とした記録中心の書き方で、読者の想像の余地を残しておいたほうが、かえって胸に響くものになる」と助言をいただいた。

 「さて、物書きは上手に歳を重ねてきただろうか」今、私が書く文章は10年を推敲したものだ。月下推敲のごとくT社長の助言に近づけていたら少し嬉しい。

 いずれにしてもデビュー作は思い入れがあり、時を経てあらためて勉強し直す教材のようでもある。
 

ライター S.S.