自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

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社史編纂・記念誌制作

社史に学ぶ

ものを識(しる)

 社史はその会社の「経緯(いきさつ)」を記すことが本筋である。そこには過去から未来へつながるリアルなストーリーがあり、エピソードも存在する。
 どこに光を当てるかは、その会社次第だ。ある会社は「創業者」に光を当てたサクセスストーリーとし、別の会社は「売上高」や「研究開発」であったりする。当然、複数もあり得るし、経営史上での何かしらの「学び」とすることもある。
 光を当てた対象は、Web用語に例えるなら「タイトルタグ」だ。章立てや文章に埋め込み、読者を惹き込む“キーワード”になる。
 今回読んだS社の社史は、全編にわたり「製品」に光を当てていた。
 章題も製品名が多い。テクノロジーを追求する企業は、やはり「製品」に光が当たるのだ。
 原文には、その製品がどういうものでどういう働きをするのか説明が書かれている。馴染みある製品や身の回りにある製品なら説明など不要かもしれないが、世間の気づかないところに存在し、興味の対象になく、しかも、それが高い専門技術で作られた製品の場合、特に未来の人たちのために説明は必要だ。しかし、ざっと読むと多くの数値と初めて見る単位、そして専門用語が含まれ、少し難解に思える。会社関係者ならともかく、これでは未来の人たちに一定の専門知識と専門性を理解する力量が必要だと安易に推定してしまう。
 ところが、文章は不思議だ。何度か読み込むと変化が起きる。当然、個人差があると思うが、少しの興味と反復、そして常識的な読解力があれば理解できる。言い換えれば、限られた字数で、少し読み返せば理解できてしまう説明文の力量が大きいのだ。それは「わかりやすさ」である。高い専門技術をいかにわかりやすく説明するか、ライターの取材力と文章力に同業として学ぶところが多かった。
 ライターは、対象に興味を持ち、「ものしり」になることが肝心だと思う。思想家 柳宗悦は著書の中で、「知る」は新しい情報を得ることであり、「識(しる)」は新しい情報を自分の中で分析・整理して理解することだと書いている。読み手は「知る」でもよいだろうが、書き手は「識」でなければならない。ライターである自分が「識」ことを書く、そうでなければ、社史を読む未来の人たちも理解できないからだ。

ライター S.S.