昨年の3月に発生した兵庫県知事にまつわる告発文書問題は、告発した県幹部および関係職員の死から百条委員会設置、知事の不信任案可決、知事失職、知事選挙で失職知事が再就任という経緯となったが、その選挙に関わる不正疑惑、またその後の百条委の委員だった県議会議員の死という不幸な事態発生もあって未だに混乱が続いている。その間、公選法違反の刑事告発を受けての県警と検察の捜査が行われており、現時点では解決の見通しが全く立っていない状態である。
企業、特に大企業の不祥事が現れるのは不況が深刻化したときの特徴的な社会事象といわれるが、わが国でもバブル崩壊以後出現頻度が高くなり、これが社員などによる内部告発で発覚するケースが多いため、2006年から「公益通報者保護法」が施行された。
こうした告発は社会的に非常に有益である反面、誤った、または不正な告発は企業活動にとっては致命的になる場合もあることから、「真実相当性」が当初は厳しい優先性をもっていたが、私は、不況の深刻化、長期化と、政治の面でもモラルハザード的なものが出てきたこととも相まって「真実相当性」の優位性が否定されてきたように思う。この保護法はそうした趨勢を反映して改正が進められ、最近の改正法では「真実相当性」は問われなくなっている。そして保護体制の「整備義務」が企業等に求められている。
こうした流れの中では、「社史」制作にあたっても、たとえ過去の歴史上の事象を記述する場合であっても、時代背景の如何にかかわらず、自己に厳しい姿勢が求められることになるのだろうと思う。もちろん、時代背景がどのようなものであったかを説くことも歴史を理解する上では必須なので、改めて併記することは当然である。
兵庫県知事の告発文書問題については、県民としてあまりにも長い間悩まされ考えさせられ続けて、もう疲れてしまった。これからも最終決着までには長い時間がかかるのだとすれば、それだけ県民や県内企業にも悪影響が続いていくのだろう。経過を見てきた思いとしては、起こるべくして起こった複雑な問題というよりも、もっとシンプルで低次元の、「愚か者たち」の「愚かな」騒動であった観が強い。誰にとっても悪い、無駄な時間だった。だが、肝心なことは賢明な解決なので、そのために今後も時間がかかることは覚悟しなければならないのだろう。
20250212 社長