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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

9.民間の宿命-仕事を取るということ-

 学生時代、就職先を見つけるにあたり、どんな仕事をやりたいかということは考えたが、民間会社と公的機関の違いなどは余り考えなかった。公務員は安定しているが、何かと縛りがあり窮屈で、それに対して会社員は自由度があるというイメージ程度は持っていたが、民間であるか公共であるかというよりも、どちらでも構わないので、やりたい仕事ができるかどうかということを基準にして、就職先を選んでいたように思う。同期の中には、民間会社に行く人や公務員になる人もいたが、自分と同様に、その違いについて、さしたる考えがあったわけではないように見受けられた。大学を卒業し、希望した民間会社に無事就職することができ、サラリーマン生活をスタートさせたが、4年ぐらいは、上司の指示に従い、任された仕事をしていただけだったので、特に、民間であることを意識することもなく済んでいた。

 ところが、5年目、新設部署に転属になり、否応なく、民間と公共の抜本的な違いを思い知らされることになった。「民間は仕事を受注しなければ始まらない。仕事を取って何ぼという世界である」という現実であった。公共は仕事を発注する側で、民間はそれを受注する側という、甲と乙の関係が、歴然とあることを目の当たりにした。親が公務員(教師)でなく民間に勤めていたら、もう少し早く、このことに気づいていたかもしれない。新設部署には、一応、分掌(ぶんしょう)規程というものがあり、何をやる部署かはわかっていたが、専属の営業担当は一人もいなかった。予(あらかじ)め用意された仕事は皆無だったので、必然的に自ら率先して仕事を取りに行かなければならないということになった。通常、受注のことは、課長、部長などの管理職になってから考えるものであるが、その部署は10人足らずの小さいものであり、仕事がなければ、組織はつぶされる運命にあったので、全員一丸となって、仕事を取りに行かざるを得なかった。もちろん、指名願いや入札行為に関わるわけではなかったが、実質的に、自分が動かないと仕事が入って来ない状況であった。

 たまに、事業部の営業部門からくる話は、他の部署をたらい回しされてきた案件や、入札したものの、どこも受ける会社がなくて不調になり、再入札となった案件などが多かった。それでも、初めは、仕事が入るだけで嬉しかったが、あるときなど、初めて打ち合わせに行った客先で、いきなり「懺悔(ざんげ)の気持ちでやってほしい」と言われ、以前、他の部署がトラブルを起こした継続案件で、その事を、営業部門がひた隠しにしていたことが、後で、判明したこともあった。まさに、はめられたわけである。ことほど左様に、新規部署がスタートしてから1,2年は、生きるために、社内から「だぼ鯊(はぜ)」、「落穂拾い」と揶揄(やゆ)されるほど、貪欲に仕事を漁(あさ)っていた。次第に、「仕事は取った段階で8割は終わっており、生産、そこから生まれる利益は、いうなれば内輪の問題である」というような意識が身に付いていった。しかし、「訳あり」のマイナスからのスタートの仕事でも、顧客と知りあうきっかけであることには違いなくて、ある意味、チャンスと言えばチャンスで、良い成果を収めることにより、それが評価され、次の仕事に繋がるようなケースも見られるようになっていった。そんなことが重なり、お得意さんもでき、リピート率も高まり、徐々に、受注も安定するようになっていった。

 民間会社は、受注産業である以上、受注がなければ始まらない。受注先となるのは、図に示すように、ミクロ的な視点で見れば直接の発注者である個別の顧客であるが、マクロ的な視点から見れば、その背景には、常に社会のニーズとそれを実現するために用意された資金というものが存在する。会社側のリソースとしては、技術と人材があり、それを製品やサービスという形で顧客に提供することになる。個別案件の受注は、所定の入札行為を経て行われるわけであるが、重要なことはそれ以前のプロモーション活動である。実際の入札は、与えられた要件に対して会社側が提案書(プロポーザル)と見積書を提出し、競争原理に基づいて行われる。しかし、プロモーション活動を通じて相手の意向と詳細の情報が分れば、限られた紙面の中に顧客のニーズに的確に応える内容を凝縮して表現することができるので、他社よりも優れた提案書を書くことができることになる。プロモーション内容は、既存顧客に対しては、顧客の悩みや新たな課題に応えるための新技術を、新規顧客に対しては、信用を勝ち取り、お得意さんになってもらうための競争優位性のある得意技術を提案するのが定石である。それを可能にするには、新技術を編み出すための研究開発とそれを技術サービスという形で提供する人材の育成が必要となる。また、実際に受注・契約に至るには、これに加えてコスト競争力も必要となる。なお、見積りは、ふっかけるのは顧客との信頼関係にかかわるし、安かろう悪かろうというわけにもいかないので、高い安いというよりも、あくまで、リーズナブルなものが好ましいと言える。

社史関連エッセイ挿図9


 プロモーション活動をする上で大事な視点は、ハーバード大学教授セオドア・レビットの提唱する「マーケティング近視眼」に陥らないことである。セオドア・レビットは、アメリカの鉄道会社が、市場が成長しているにも拘らず凋落(ちょうらく)していった原因として、自らの仕事の範囲を鉄道に規定したためで、鉄道という物理面でなく輸送という機能面で定義していれば、さらに、発展が見込めたはずだと分析している。自らの仕事の範囲を限定的に定義してしまうと、既往の事業の枠に囚われ、会社にとって挑戦に値する新たな事業に対して、確信を持った投資ができなくなり、将来の有望事業を立ち上げる千載一遇のチャンスを逃しかねないという戒めの言葉として引用される場合が多い。仕事を取っていく際、ともすると、現有のリソース(技術と人材)に拘り執着し、守備範囲を限定的に考え、成長市場を見逃し自らの発展可能性を狭めがちである。これを回避するには、周辺領域へも視野を広げ事業範囲を自ら再定義することも必要かもしれない。

 毎年、年度の初めになると受注計画を立てることになるが、その時が一番悩ましい。若手社員の時もそうであったが、経営者になってからも同様で、勤めていた約45年間、仕事を取るということに多くの神経を使ってきたことだけは確かである。おそらく、社長に上り詰めた人も、その思いは変わらないのではないだろうか。これは、業種を問わず、民間会社の宿命といえる。親方日の丸という言葉があるが、これまで、日本は、役人天国といわれてきた。高級官僚になり天下りを何回も繰り返せば、その都度、退職金を何回も受け取れるので、生涯収入は通常の何倍も得ることができることになる。大学を卒業し就職してから、仕事上で公務員になった同級生とときたま会うことがあったが、驚いたことに、育ちというのは恐ろしいもので、立場によって斯くも振る舞い方が違うようになってしまうかと、愕然(がくぜん)とさせられた。こちらは、金儲けと謝罪に日夜追い回されているのに、食い扶持(ぶち)を稼ぐ必要がなく、黙っていても生活に困ることがないという境遇を羨(うらや)ましく思ったこともあった。もっとも、最近は、社会の目が厳しくなり、一旦、社会的問題が生じると「監督不行き届き」ということで、役人がマスコミのやり玉に上ることも出てきて、公務員の人気も陰りを見せた感はあるが、やはり、我が国においては、残念ながら、官尊民卑(かんそんみんぴ)の意識は、今も、根強く残っているように思う。

   生前、公務員であった父親から、もっとも、これは公務員と言っても教師であったからかもしれないが、「商売をするということはどこかで誰かをだまして金儲けをしていることだ」という正論をよく聞かされた。斯くあるべき論である。そんな家庭で育ったので、就職し仕事を取る段になり、初めは面食らったのと、後ろめたい気持ちになったこともあった。しかし、長年、勤めているうちに、世の中の仕組みもわかり、考え方も変わっていった。思えば、資本主義社会は、民間会社があるからなり立っているわけである。民間会社が、仕事を受注し得られた利益から税金を納めることにより、世の中が回っていることは間違いない。民間がリスクを覚悟で、新しいことにチャレンジするから、付加価値が生まれるのである。役所だけでは、何の付加価値も生まれない。振り返ると、民間会社に勤めて民間ならではの苦労もあったが、公務員よりも幅広い経験ができたのではないかと思っている。庶民的視点からお金の持つ意味も理解し、世の中の成り立ちようもわかり、人間の世知辛(せちがら)さも含めて、大げさに言えば、人間存在に関して深い理解が得られたように思う。民間で、日夜、精を出して働いておられる方々に言いたいことは、民間は、一見、縁の下の力持ちに過ぎなくて、社会の中で損な役回りのように思えるかもしれないが、決してそういうことではなく、むしろ、資本主義経済を動かす主役であるという点である。そういう気概と誇りを持って、自らの仕事に取り組んでほしいものだと切に願っている。


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。