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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集 社史とともに歩む社員の人生

100.思い至ったあの言葉−その4−「組織の力量はリーダーのポテンシャルで決まる」 

更新日 2026年8月10日


 入社して間もない頃、クラシックギター教室に通ったことがあった。その教室は全国展開していて、毎年、教室対抗のコンクールがあり、各教室のアンサンブルがその腕前を競った。自分も所属していた教室の一員としてアンサンブルのメンバーに加わっていたが、そのときの練習を通じて、アンサンブルは指揮者の力量が問われるもので、如何に各パートの音を聴き分けられるか、違いが判り修正能力があるか、どこまで的確なダメ出しができるかが、決め手になるとつくづく感じた。指揮者が、未完成の段階で安易にOKを出したら、それ以上上質の演奏はできなくなってしまうもので、その教室の出来栄えはそれが上限ということになる。これは、何も音楽に限ったことではなく、日々の仕事におけるアウトプットの成果に関してもいえることのように思う。

 入社して技術研究所の土質研究室で4年間過ごしてから5年目に、新設された地盤を専門とする部署に転勤となった。その新設部署には、既往の各部署から、「土」に関連した業務経験者が全部で7~8名集められたが、その中に、そのときは課長ではなかったが、実質的なリーダーといえる中心人物がいた。その人は、国立大学で助手まで勤めてから途中入社した人であった。それまで社内に土を専門とする人は大勢いたが、皆、土に関して深く学んだというよりも、仕事を通じて体得したというタイプであったが、その人は、当時の国内における土に関する東西の双璧と呼ばれていた権威者の門下生であり、大学でみっちり土質力学に関して学んできて、それなりの学識を有していた。そういう生い立ちだったので、学問としての「土」に関しては、社内のみならず社外の誰にも負けないという自信をその人は持っていた。現に、社内では誰も太刀打ちできなかっただけでなく、社外において、仕事上有名大学の権威者と相(あい)対さねばならない場面になっても、けして怯(ひる)むことなく、堂々と議論を戦わしけして引けを取らなかった。自分も含めた直属の部下となった数人が、その人の薫陶の基、仕事を進めることになったわけであったが、その人は専門知識もさることながら、物事を理詰めで論理的に考えるので、専門的な判断だけでなく、仕事の進め方まで指導を受け、しまいには、レポートの一字一句まで執拗に加筆修正された。容易にはOKを出さず、何度でもダメだしされたので、物事を論理的に考えるように思考回路まで矯正されたように思う。振り返ると、技術者として駆け出しの頃、その人に仕事を通じて鍛え上げられ、土の専門家としての実力も身に付き一人前になれたのだと今にして思う。

「蟹は甲羅に合わせて穴を掘る」というように、リーダーの周りに集まりその後について行く者は、まずリーダーの考え方や振る舞い方を真似し、次にリーダーをベンチマークにして追いつき追い越そうと努力する過程で成長するわけで、組織集団の力量は、その中心となる人物の力量によって決定づけられることを実感した。プロ野球の元監督野村克也の残した「組織はリーダーの力量以上には伸びない」という言葉も頷(うなず)けるように思う。


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、社員の仕事というものは必ずチームワークなのだから、協調性が保たれてこそ良い仕事ができるわけである。しかしメンバー各々は各々の考え方や価値観をもっているので、それがチームワークを阻害する場合は何らかの工夫が必要になるという話。そして一つひとつのの「達成」こそが小さな思いやりと協調の大切さを自覚させる機縁となって、人は成長していくのである。そのことが自ずと伝わる社史こそ良い社史であり、そういう会社こそ良い会社なのである。】