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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

12.失敗から学ぶ-組織の学習効果-

 誰しも失敗はするものだ。大事には至らなくても、長いサラリーマン生活の中で、大なり小なり、トラブル程度のことはあるものである。現役時代、事故といえるような大きなトラブルは、自分が担当した仕事の中ではなかったが、課長になって、早々、前任者の時代に設計した斜面が大雨で崩壊し、人身事故になったケースがあった。何回か、現場に足を運んだが、途中から、当時の担当でないと埒(らち)が明かないということで、前任の課長が警察から呼びだされ、顔つきが変わるほど、責任を追及された。結果、裁判になったが、自然現象なので不可抗力ということで決着がつき、胸をなでおろしたのを覚えている。

 一つの重大事故の背後には、29の軽微な事故が隠されており、さらに、300のヒヤリハットがあるというハインリッヒの法則というものがある。しかし、大きな失敗は、否応なく、表ざたになるが、小さいトラブルは隠され、なかなか、表には出てこなくて、やがて、周囲の人々の記憶から忘れ去られてしまうものである。担当者の立場になると、失敗というのは、できるだけ穏便に済ませたいと願うのが常である。人や部署の評価に関わるので、本質的に隠したいと思うのが人情でもある。

 全社的な品質に関する委員会の責任者を任されたとき、改めて全社的に調査をしてみると、ヒヤリハットと呼べる小さな失敗がたくさんあることに気づかされた。それまで、品質に関しては、一つ一つのプロジェクトには、管理技術者、照査技術者を任命しきちんと管理しており、さらに、いち早く、国際標準化機構(ISO)の認証を取得し、その専門部署も設け、定期的な内部監査、外部監査も実施していたが、やはり、それだけでは限界があり、時間が経つにつれやや形骸化してくる傾向もみられた。それに、それらの手法は、そのプロジェクトの部署や個人に対しては、確かに反省材料になっているかもしれないが、得られた教訓が組織として共有されているとは言い難いのが現状であった。

 通常、人は失敗すると、図に示すように痛い目にあい、そういう小トラブルが蓄積すると、その中から、共通項を見つけ出し、それを自らの教訓とする。これは、いわば、帰納法に基づく主観的アプローチによる個人の学習効果といえるものである。例えていうならば、いくつかの大学受験に失敗し、それらを比較し、英語の成績が悪かったという共通項を見つけ出し、「大学に合格するには、もっと英語力を身に付けなくてはならない」という教訓を導き出すようなものである。しかし、大学受験に限らず、何事も本人が失敗しないと身に付かないとしたら、際限なく色々な失敗を繰り返さないと、多くを身に付けられないことになる。そんなことをしていたら、社会的信用を失いかねない。失敗の経験は、本来、必要最小限に抑えるのがよいに決まっている。

 失敗から得る教訓や知識は、本人が「痛い目」に合わない限り身につかないと思われがちであるが、実は、けして、そういうことではない。図に示すように、他人の失敗からも学ぶことができる。例えていうならば、大学受験に失敗した兄を、弟が傍(はた)でよく見ていたとしよう。兄の落胆した様子を身近で見ていた弟は、痛いほど兄の気持ちが分かった。これは、本人が経験したわけではないが、兄の経験を自分に置き換えリアルに感じる、いわば「仮想失敗体験」というものである。会社のような組織においても、失敗の伝達方法が書類のような無味乾燥的なものだけでなく、失敗の実体験者が臨場感を持って対面で説明する機会があれば、それを聞いている複数の社員は、弟と同様に「仮想失敗体験」ができ、実際に体験したのに近い心象を得ることができる。個人の小さな失敗体験を「仮想体験」として多くの社員がシェアできる仕組みを有する会社ほど、大失敗をする可能性が低くなることは自明の理である。

社史関連エッセイ挿図12

  次に、仮想失敗体験をした弟は、やがて自分も受験をする際に、兄と同じ轍(てつ)を踏まないように、兄の体験を、受験合格のセオリーに照らして分析することを試みる。合格のためのセオリーのチェックポイントとしては、教則本が適切であったか、適切な指導者がいたか、本人が努力したか、受験の際の体調、周辺環境は良かったかなどが考えられる。弟は、兄の行動をセオリーに当てはめてみて、兄は十分努力していたし、当日の体調も良かったし、教則本も適切なものであったが、ただ、誰にも相談せず独学で受験勉強をしており、指導者もいなかったことに気づいた。弟は結果として、「合格するには、独学ではだめで、塾などに通い指導を受けることが必要である」という結論を導き出した。これは、理論やルールに個々の事象をあてはめ、仮説を証明する形で解を導き出し、知識化(一般化・汎用化)したものである。知識化とは起こってしまった失敗を他者が将来使えるように、知りたい中身と欲しい形でまとめることで、これにより組織(複数の他者)の学習効果が発揮されたことになる。このように、組織として、失敗経験を、所謂、事故報告書、始末書のように記録としてまとめるだけに留めず、広く公開すれば、その情報が、空間(地域)や時間(時代)を越えて伝達(伝承or継承)されることにより、組織の学習効果が最大限に発揮されることになる。

 そんな考えに基づき、トラブルを披露しあうシンポジウムみたいものを提案し、毎年、開催することにした。初めは、自分の恥をさらすようでかなり抵抗があったが、主旨をよく説明し、何とか開催にこぎつけることができた。発表する側は、部署の内情や自分たちの至らなさを告白するみたいで、初めは躊躇(ちゅうちょ)していたが、そのうち、良い意味の開き直りもでてきて、本音がでるようになり、聞いている社員も、自分の経験上納得いく場面も多く、共通の問題点や課題もシェアできるようになっていった。 そういう会合を何回か重ねるうちに、失敗に対する見方もだいぶ変わっていった。もう一つ、前向きな別な見方、即ち、マイナスイメージの失敗を、新たな創造というプラスイメージに転ずることもできるように思えてきた。プラスの面とは、個人の成長の視点から見た場合である。

 失敗には「良い失敗」と「悪い失敗」、「許される失敗」と「許されない失敗」があり、それらは峻別して解釈する必要があるように感じる。確かに、同じ原因の失敗を何回も繰り返すのは「悪い失敗」と言えるが、それに対して「未知への遭遇」に起因する失敗は「良い失敗」と言えるのではないだろうか。「良い失敗」とは、世の中の誰もが、その現象とそれにいたる原因を知らないために起こる失敗で、これに遭遇した際に、その原因とメカニズムを徹底的に分析し紐解くことにより、科学が発達し、新たな文化が生み出されてきたことは歴史に明らかなところである。良い失敗をしないようでは成長することは難しく、それはチャレンジしなかったことを意味するのではないだろうか。まさに「失敗は成功のもと」、「失敗は発明の母」で、創造力は失敗を避けては培われないものであるように思う。 生じてしまった失敗を次に活かすことができるかどうかでは、長い目で見た場合、会社を経営する上で大きな差となって現れるように思う。

  一言で言えば、個人の小さな失敗をいかにして組織の学習効果とするか、即ち、組織としてのリスク管理にいかに役立てるかということが大事である。失敗から学ぶ上で、何よりも大事なのは、少しの失敗をあげつらい糾弾(きゅうだん)するのではなく、むしろ、チャレンジしたことを「good job(グッド ジョブ)」と言って褒(ほ)めたたえることである。何でも隠す隠ぺい体質でなく、何でもフランクに話せるオープンマインドの企業風土を持った会社が、失敗を貴重な共有財産として活かすことができる強い組織のように思う。


風間草祐エッセイ集 目次



※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。