自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > 社史編纂・記念誌制作 > 風間草祐エッセイ集 > 14.「筏下り」と「山登り」-人の成長を考える-

社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

14.「筏下り」と「山登り」-人の成長を考える-

 会社における人の成長を考える場合、入社直後から、自分の目標を定め、一本道を定め、わき目もふらずまっしぐらに進むのが、効率がよく、早期に目標を達成できるかというと、必ずしもそうとは限らないように思う。なぜなら、入社直後のまだ社会人に成りたての段階では、考え方も独りよがりで自分の長所や短所、得手不得手、才能などについても、よくわかっていないからである。自分ではわかっているつもりでも、それは、あくまで主観的なもので、傍(はた)から見れば、違った見方もできることがわからないのである。早期に、自分の目標をがちがちに定めてしまうと、守りの姿勢になり、広い視野を持てなくなり、自分の行動範囲、可能性を狭めてしまう危険性がある。自分の描いた筋書きでないことを必要以上に気にして、少しずれると思うと、無駄なこと、時間の浪費のように受け取り、実際の世の中は、もっと、複雑であり、幅も深さもあることを見逃してしまい、未知のことを吸収しなくなってしまうことになりかねない。

 自分の会社人生を振り返っても、配属された部署は、希望したものでも、大学時代学んだ専門とも違っていたので、自分がどういう方向に向かうのか、海のものとも山のものともわからない状態から始まった。入社1年後、行きがかり上、回り持ちで、組合の支部委員長を引き受けることになったが、そのときの執行部は、それまでの御用組合的な要素は全くなく、会社側と激しく対立し、社、始まって以来のストライキも決行することになった。こちらも、執行部メンバーの一員として、正直、少々、やり過ぎた感はあったが、後先考えずに組合活動に打ち込んだ。やがて、妥結を迎え、春闘も終焉となったが、執行部だった仲間はほぼ配置転換を命令され、それを不服とするものは会社を去っていった。委員長と言っても、自分は、小さな支部だったので免れるかと思っていたが、既に、会社からは目をつけられていたので、1年遅れで転勤命令が言い渡された。

 配属されたのは新設された部署で、部員は全て他部署からの寄せ集めであった。用意されていた仕事は皆無で、決まった営業担当もいなかったので、まずは、仕事を探すことから始めるしかなかった。どちらかというと、お手並み拝見と見られていた部署で、そう長続きはしないと周囲からは見られている節(ふし)があった。こちらとしては、部署の存続の為に、なりふり構わず何でもやった。仕事の内容が厄介(やっかい)だったり、採算が合わなかったりなどの理由で、他部署をたらいまわしされた案件などをよくやった。そんな状況が1、2年続いたときに、ひょんなことから、幸運なプロジェクトが舞い込み、苦労はしたが、その仕事を何とかやり遂げ、顧客からも高評価を受けた。それがきっかけで、半ば、芋づる式に仕事が入るようになり、部署も、社内で一人前と認められるようになった。丁度、その頃、30歳を迎える年頃になり、自分の専門、得意な分野が何となく決まり、自他ともに、ひとかどの技術者として認められるようになった気がした。入社した時には、全く予想していなかった展開であったが、一応、サラリーマン生活の第1ステージに到達したような印象であった。

 会社において、社員が成長するための考え方として、図に模式的に示すような「筏下り」と「山登り」という考え方がある。まず、入社後30代前半までは、遭遇する障壁を避けながら急流を下り、自らを磨く偶然性に支配された「筏下り」のようなもので、その段階を過ぎたら、目標を定め自らの専門性を身に付けていく「山登り」のような段階を踏むのが望ましいという考え方である。初めの「筏下り」は、自分はいったい何処へ向かっているのかもわからない状態のまま、とにかく、目の前の急流と向き合い、その時自分の持っているすべての力を振り絞って、その急流や岩場を乗り越えていくものである。一つの急場を乗り越えても、また、次の難所がやってくる。その繰り返しをしていく中で、力をつけていくことになる。川を下る過程で、多くの経験を積み、様々な人と出会い、自分に何ができるか、何がやりたいか、何に向いているかを考える段階である。当然、「筏下り」のうちは、周りの景色を楽しむ余裕はない。

 やがて、急流を脱し、流れの緩やかな平場に出た時には、いつのまにか、苦労した分、一皮も、二皮も向けて、成長していることになる。そして、そこで一旦立ち止まり、内省し、自分の進むべき方向を定める「山登り」の段階に移行することになる。本格的な「山登り」に入る前に、じっくり、時間をかけて、どの山を登るかを選ぶ必要がある。「山登り」は「筏下り」と違って、偶然性に支配されているわけではない。自分の目標に向かって、自ら経路を定め、歩を進めることになる。具体的には、専門領域を定め、明確な目標に向かって、自分の全エネルギーを山を登ることに集中させる。一旦、登り始めると、あれもこれもというわけにはいかない。二兎も三兎も追っていたのでは、何も身に付かず、何時まで経っても一流の域には到達できないことになる。従って、「山登り」には、計画性、戦略性が必要となる。

社史関連エッセイ挿図14

 社の人材育成の責任者のような立場になっていた50代の中頃、「筏下り」と「山登り」の考え方を知り、自分の経験と照らし合わせても納得するところが多かったので、全社的な人材育成策の一つとして取り入れることにした。対象としては、入社後10年程度の経験を積んだ30歳ぐらいの社員とし、部署、専門を問わず、招集することにした。コーチ役は、全て自社社員とし、身近な先輩の背中を見せ、ベンチマークになってもらうという意味でも、丁度、10年位年上の社員を数名選定し任に当たらせることにした。内容としては、まず、入社してからこれまで、「筏下り」の時代に経験した「一皮むけた体験」を発表し、その後、今後10年間のキャリアビジョンとそのアクションプランを作成し、コーチからのアドバイスを聞きながら練り上げ、最終的に、経営トップの前で、決意表明をするというものである。2002年から開始し、一度に12~20名を対象とし、30歳前後の年齢層の100%受講を目指していたので、多いときは年5~6回開催したこともあった。2泊3日の合宿形式にしたので、受講者のキャリアアップだけでなく、社内ネットワークの形成にも役立ったのではないかと思う。研修受講の5年後、自己研鑽の進捗を確認する意味で、同じコーチを呼んでフォローアップ研修もすることにした。このプログラムは、その後、自分の退職後も引き継がれ、現在まで20年余り継続されており、少なく見積もっても1000人以上は受講したのではないかと推察され、社の人材育成策として定着し、それなりに効果を上げているのではないかと、密かに自負している。

 自らの30代以降のことを思い起こすと、30代前半に「山登り」に入れば安泰かと思いきや、けしてそういうことばかりではない気がする。それ以降も、筋書き通りに運ぶわけではなく、山あり谷ありで、いくつもの障壁に遭遇し、それを試行錯誤しながら克服し、成長していくのではないかと思う。結局、サラリーマン人生の節目節目で何らかの目標を立て、チャレンジし、立ちふさがる障壁を乗り越えることにより、新たな発見もし、そういうサイクルを何回も繰り返しながら、人はスパイラル上に成長して行くのではないだろうか。困難で不確実な仕事に挑みながら、それを乗り越える度に、一皮むけ成長することができる気がする。心理学の用語にセレンディプティ(Serendipity)という言葉がある。この言葉は、スリランカの王子が探し物をしていて、目的物とは違った思わぬ掘り出し物を見つけたという逸話に基づくもので、何かを捜し求めている時に、予想しなかった価値あるものを発見することを言うものである。人は、そんな予定調和でない、意外性に遭遇したとき、思わぬ感動に満たされるものである。そもそも、世の中は、ランダムでも、規則的でもない中間的な偶有性(Contingency)に満ちたものであり、次の瞬間に何が起こるかわからないというのが真実である。そのような不確実性に適応できるように、学び、そして進化してきたのが人間の脳なのだから、未知の領域にチャレンジすること、即ち、偶有性の海に飛び込むことは脳に本来の学習環境を与えることに等しく、年齢を問わず、幾つになっても、脳の活性化にかなった行為といえるのではないだろうか。


風間草祐エッセイ集 目次



※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。