どんな職業でも、仕事をする上で必要とされる能力というものがある。入社直後は、その能力は十分とは言えないかもしれないが、様々な経験を積むことにより徐々に身に付いてくるものである。しかし、会社として、自然の成り行きに任せていただけでは、人によって能力の獲得具合がばらばらとなり、一定の品質の製品やサービスを提供するのが難しくなる。それに、社としては、できるだけ早く一人前といわれるレベルの能力を身に付けてもらうのが好ましいわけで、そのためには社員個人の自助努力に任せるのではなく、効率性の面からも組織的に人材育成に取り組むことが必要となる。特に、勤めていたようなコンサルタント業の会社の場合は、人材が唯一の経営資源なので、人材育成策は避けて通ることのできない最重要事項の一つである。
30代の終わりに管理職となって数人の部下を持つようになり、自分の責任範囲として、専門分野の技術指導や資格取得支援などを行っていた。50代の初め、それまでの部下の指導経験を踏まえた人材育成の在り方を管理職者の集まりで披露したところ、賛同を得て、全社的な人材育成に関わることになった。早速、人材育成の基本となるようなビジョンの策定に着手した。社内に検討委員会が立ち上げられ、策定したビジョン案はそこでの審議を経て、全社の人材育成策として承認された。すると、出来上がったビジョンを実行する専門組織が必要ということになり、「隗(かい)より始めよ」ということで、その責任者になった。ビジョンに沿った方策の一つとして、35歳ぐらいまでの若手社員を対象にした研修を計画し実行に移したが、初めての試みだったので、試行錯誤の連続であった。数年後、何回か実績を積むうちに一通り研修方法が確立され実施も後進に引き継がれたので、直接研修に関わることはなくなったが、立場は変わっても、結局、退職するまで何らかの形で人材育成に関わることになった。
コンサルタント業に限らずどんな職業でも、必要とされる能力は、図に示すような人間力、専門技術力、業務遂行力の3層構造に分類されるものと考えられる。中間の層は、専門知識、分析力、解析力、総合判断力などの専門技術力である。技術があって初めて、頭に描いた夢を具体化でき、あるいは様々な問題点の解決が可能となる。科学は未解明なことを明らかにすることが目的であるのに対して、技術の目的はある特定の事柄に役立つことであるという違いはあるが、大きくは知性(知ること)に相当する能力といえる。上部の層は主として人間関係に関連するもので、先見性や創造力に基づく企画提案力、リーダーとしてチームを管理・指導するマネジメント力、交渉相手を説得し合意を得るためのコミュニケーション力などの業務遂行力である。会話は、相手の意図するところを汲み取ることから始まり、それを繰り返すことにより、やがて相互理解に結びつくもので、元を正せば感性(感じること)のなせる技といえる。このような専門技術力、業務遂行力は、謂わば、仕事を進める上でのテクニック、スキルといえるものであるが、下部の層の人間力は、仕事に対する目的意識や取り組み姿勢などの、社員としての基本的態度に関わるものである。常に、公平な眼で人に接し誠意を持って対応する倫理観、良好なチームワークを保つ為の協調性、最後まで責任を持ってやり遂げる忍耐力などである。これらの事項は個人の価値判断を伴うもので、知性、感性に対して信念(信じること)ともいえるものである。
以上の人間力、専門技術力、業務遂行力の3つの能力の内、仮に専門技術力が無ければ、いくらすばらしい考えやアイデアが浮かんでも、机上の空論に過ぎず具体化には繋がらない。業務遂行力が無ければ、現実世界との接点を持つことが難しく、社会の抱える課題を解決し何らかの価値を提供することには繋がらない。人間力が無ければ、自信を持って相手に接することができないので、社内外を問わず他者の信頼を得ることは難しい。このように3つの能力の内のどれが欠けても、仕事を円滑に進めることは難しくなる。その理由はそれぞれの能力の根本にある科学、文学、哲学の持つ特性にあるように思う。
専門技術力のバックボーンは科学技術である。未知なものに対して分析的、統計的手法を用いて解明するのが科学であり、その手法を用いて、将来起こりうる事象を予測し、対応策を講じるのが技術である。科学は観察対象を選びその一面に着目しそれを単純化する。その方が事実関係を見極めやすいためである。実験や解析的手法を用いて論理的な推論を重ね普遍的な法則を見つけ出し、それを数式で表現することにより再現性を担保する。従って、特定の条件が整えば何が起こるかの予測が可能となる。このようにして科学は技術を通じて環境を変える力を持つことになるが、現実社会は複雑で対象の一面だけを見ても全体像は捉えたことにならない。また、環境を変える方法論は分かっていても、何のためにという目的論に関しては、科学は答えを持ち合わせていない。
業務を遂行するためには、様々なステークホルダーと意思の疎通を図る必要があるが、人間はそれぞれ個性があるので、その一面だけを捉える科学的アプローチのみでは相手の気持ちを読み切れず信頼関係を築くことは難しい。人間は感情の動物といわれるように、理性より先に生理的に視覚や聴覚などの五感が対象を捉え、その感覚が主観的な感情に発展し行動を支配するものである。故に、もっと人間の持つ複雑性、個別性を重要視し、個人の心の中に焦点をあてた、謂わば、文学的アプローチが必要となる。暑い部屋にいる場合を想定すると、服を脱ぐあるいは窓を開けるなどの科学的アプローチにより環境は改善されるものの、どこまで行っても満足が得られないのに対して、静座し黙考するだけの文学的アプローチでも案外暑さが凌(しの)げるだけでなく、清涼な気分と心の平静さは得られるものである。ただし、残念ながら文学は環境を変える力にはならない。
人間力は、その人の価値判断や信念に基づく行動様式、態度であるが、実は信じることの出発点は感じることにある。感じるという行為は主観的で個人的なものであるが、主語の私(単数)が私達(複数)に移行することにより、信じるに変貌する。主観的なものを客観的なものに組み替え、自らの体験や考えを普遍的なものに変えて行こうとする過程で、その人の世界観や信条、つまり哲学が形成される。信念に基づく行動は、科学のように行きつく先が予測でき保証されたものではないが、それを承知で突き進む行為である。しかし、信念はつまるところ、相手の感性に最も強く働きかけるので、対象の複雑さ故に科学が眼を瞑(つむ)る事柄に対しても、勇気ある行動を促す強い推進力になり得る。
仕事に必要とする人間力、専門技術力、業務遂行力の3つの能力の中で、社の人材育成策として主体的に取り組むのは業務遂行力であろう。専門技術力は学生時代にその基礎は学んでいるので応用編が中心となる。人間力に至っては、入社する以前の育ちや生い立ちにも関係しているので、成人してから教育することは、なかなか難しいかもしれない。50代半ばに全社の人材育成策を起案してから退職するまで、15年近くその効果を見守ってきたが、もとより教育の効果など目に見えてわかるものではないが、3つの能力を完璧に身に付けた万能な社員などなかなか見当たらないものである。個性や資質、才能の違いもあるので、一様というわけにもいかないのも事実である。人材育成に関わった身としては、年代に応じて社員として必要最小限の能力レベルは獲得してくれるように願うばかりであるが、「鉄は熱いうちに打て」というように、キャンバスが何色にも染まっていない早い段階、何にでもチャレンジすることのできる精神的余裕のある時期に、社が期待する能力の全貌を知識として植え付け、向上心を促す良い刺激を与えることが大変重要のように思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。