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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

16.OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)-習得内容と指導法-

 言うまでもなく、会社は学校ではない。従って、上司や先輩が、仕事のやり方を色々と手取り足取り教えてくれるということはない。故に、仕事上必要な能力は、仕事を通じて養うこととなる。振り返ると、自分もそのようにして仕事に必要な能力を身に付け、曲がりなりにも一人前と呼ばれるようになったのだと思う。就職し大学で学んだ専門と違う部署に配属になったが、習うよりも慣れろということで、理屈より前に試験や調査のやり方を必死で覚えた。少し経つと、先輩と組んで、その手元的な役割を演じられるようになった。それと並行して、専門書を読み漁り専門的な知識を仕入れた。そのうちに、課長ではなかったが、自分がプロジェクトの矢面に立ち、直接、顧客とのやりとりもできるようになり、上司からは困った時にアドバイスを受けるくらいになっていた。

 しかし、自らの反省も込めて正直に告白すると、必要な能力が過不足なく備わっているかという問いかけに対しては、忸怩(じくじ)たる思いがある。満遍(まんべん)なく技術者としての能力が身に付いたというよりも、偏りや濃淡があることは否めないと思う。仕事を通じて色々な先輩に出会い、指導も受けることもできたが、冷静に考えれば、それはたまたま恵まれていたに過ぎず、思えばもっと効率のよい能力の獲得の仕方はあったのではないかと思う。古い考え方をする人の中には、「どうせ、放ったらかしにしておいても、這(は)い上がってくる奴は這(は)い上がってくるのだから、懇切丁寧に教える必要などない」という意見を持っている人も多く、現実的にもそうしているケースが少なくなかったと思うが、やはり、ただ成り行きに任せれば、自然に能力が身に付くというわけにはいかない気がする。年代に応じて、プロジェクトを通じて、社員が落ちこぼれがなく必要な能力を身に付けられるようにするには、組織として、効率的なOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の方法を模索し明らかにしておくべきと感じた。一口にOJTといっても、それなりのセオリーがあり、場面に応じたノウハウがあるように思う。

 経験上、能力を獲得するために習得すべき内容には、大きく言語や記号で表現できるのでマニュアル化が可能なものと、そうでないものがあるように思う。マニュアル化できるものは、教則本で明示できるので、それをもとに学ぶことが可能である。一方、たとえば職人の勘やテクニックのように、どういう動作を繰り返せばやがてマスターできるかはわかっていても、そのやり方を上手く言葉や文章で表すことが難しく、身体で覚えるしかないものもある。さらに、今まで誰も経験したことがなく言語や記号で表すこともできなくて、やり方も未知のものなると、習得というよりも自らが先頭に立って創造しなければならないということになる。

 図は、年代(社歴)に応じたOJTの手法と指導者の関わり方を示したものである。社員は、入社後、仕事を通じて指導者から、習得内容の特性にあったOJT手法により指導を受け、人間力、専門技術力、業務遂行力などの能力を身に付けて行くことになる。医療従事者を例にとると、入社直後の数年間は、集団研修みたいにして、たとえば、採血や注射のやり方をマスターするように努めるものと考えられるが、これはいくら本を読んでも身に付くものではないので、指導者の指示に従いひたすら練習を繰り返すしかない。指導者は、自ら模範を示し、練習を通じて手取り足とりで半ば強制的に基本を教え込むことになる。

 次は、医療に関する知識を身に付ける段階であるが、これは教科書に言語や記号で説明されているので、指導者に教示されながら自分で学習すれば、身に付けられるものである。この時点では、既に各部署に配属された後と思われるので、指導者というのは直属の上司か先輩ということになるであろう。プロジェクトのサブ的立場で、その人たちの振る舞いや判断を傍(そば)で見ながら、教則本と照らし合わせ専門知識を学ぶことになる。おそらく、この段階で、専門知識だけでなく分析力、解析力などの専門技術力が培われるのだと思う。この段階までは、指示や教示待ちの受け身の姿勢でも成長が見込めると思われるが、次の段階からは、能力向上のためには、主体的な取り組みが要求されるようになる。

社史関連エッセイ挿図16

 次の段階は、マニュアルはあるものの、自らが矢面に立ち、中心になって仕事に取り組む自習の段階である。指導者の役割は、仕事がうまく運んでいるかチェックし、必要ならば改善点を指摘し支援することとなる。医療でいえば、困った時に上司に判断は仰ぐものの、直接、患者に接し診察を行う段階である。患者に病名を告げ納得してもらう際の説得力、コミュニケーション力、先を見通し治療法を提案する企画力、継続的に病状の変化を見守るマネジメント力などの、主として人的対応を目的とした業務遂行能力が要求されることになる。さらに、社歴を積み熟練度が増すと、指導者も誰も足を踏み入れたことがない領域、医療でいえば、新たな治療方法を適用するような段階となる。もはや、指導者は示唆を与えるのが精いっぱいで、全ての仕事を自分の責任の下に行う必要がでてくる。最も倫理観、忍耐力などの人間力が要求されるステージといえる。人間力は、テクニックやスキルというものではなく、その人の価値判断に基づくものなので、そもそも他人から指導されて身に付くものではない。もっと内発的、自発的な思索の中から得られるもので、自らの経験を客観視し普遍的な価値を見出そうともがく過程で備わるものである。本人が経験した事実を深く内省し自立的に体得するものである。なお、この能力は、入社以前の育った環境や生い立ち等から、大なり小なり素地としてある程度備わっているものでもある。

 サラリーマン生活は、運不運がつきものである。どんな上司の下で、どのような職場環境で、どのような仕事をするかを選ぶことはできない。人の能力向上も、それによって随分違ってくる。しかし、できうるならば、能力獲得のチャンスは公平であるのが望ましい。会社としても、社員には、もれなく一定レベル以上の能力は身に付けてほしいと願うものである。そんな思いから、50代の初めに社としての人材育成の基本的なビジョンを作成し、いくつかの施策を実行に移した。人材育成は、医者の場合に専門によって学ぶ内容が違うように、分野によって習得すべき内容が変わってくるので、分野ごとに対応するのが基本となる。分野長を中心に、専門分野別に、一人前になるための大学でいえば履修科目に相当する習得項目を決め、所定の年齢までに、一通りの能力が身に付くようなプログラムを作成することにした。座学や実習などが中心であったが、担当させるプロジェクトを人材育成の観点から選定することなども考えた。人事異動も、経験を積ませるという意味では、人材育成策の一つといえる。分野長は、その分野の構成員全員に目を配ることになるが、身元引受人というわけではないものの、専門資格取得に絡めて、マンツーマンで指導ができるように、育成担当見たいものも決めることにした。

 全社的な人材育成策を提案してから退職まで10年余り、その後も引き継がれ現在も諸施策は継続されているようなので、かれこれ20年近く、このプログラムは実行されていることになる。教育効果というものは、眼に見えてわかるものではないということは百も承知であるが、何もやらずに野放図にしている場合と、何らかの施策を講じている場合とでは、時間の経過とともに大きな違いとなって現れてくるのではないかと思う。少なくとも、社員全体の能力の底上げには貢献しているのではないかと信じている。


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※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。