社員の能力向上のため、社として組織的に社内教育に取り組むにしても、教育機関ではないので自ずと限度があり、やはり、社会人になってからの能力向上は、自己研鑽が主体になると思う。もちろん、日常の業務経験を通じて必要な能力を身に付けて行くわけであるが、それ以外に、就業時間外に時間を割いて、自己研鑽を積む場合も出てくる。その最たるものは、専門の資格を取るための勉強である。物心ついてから社会人に成るまで、高校、大学と入学試験を経験し、在学中も中間、期末試験と、学生時代は学ぶのが本業なので仕方ないかもしれないが、色々な試験に追いかけられてきたように思う。そして、就職し試験からは解放されるかと思ったら、サラリーマンになってからも通過しなければならない試験がいくつもあることに驚かされた。就職後、試験勉強に費やしたトータルの時間は、学生時代に劣らないような気がする。そして、その多くは専門の資格を取得するための時間であった。
普通、資格というと、公認会計士、税理士、弁護士、医師免許に代表されるような、それを取得していないと仕事をしてはいけない業務独占資格と呼ばれるものが、まず、第一に思い浮かぶ。就職してから、その種の資格で受験し取得したものとしては、放射線を使用する検査機器の使用や保管に必要な資格、環境系の証明事業をするにあたって管理技術者として必要な資格などで、いずれも、若干、専門は違っていたが、必要に迫られて挑戦したものであった。一方、仕事をする上で、どうしても必要ではないが、その資格を持っていることがステータスシンボルとなり、仕事を受注したり消化したりする上で役立つ職業資格というのがある。勤めていた建設コンサルタント業界においても、そのような国家資格があった。所定の経験年数があれば受験することができ、それを取れば、自他ともに一人前と呼ばれる資格である。勤めていた会社でも、若手社員は誰しもその資格を一つの目標として、受験勉強をするのが風潮になっていた。自分も若かりし頃、その資格を目指していたが、問題は、学生時代と違って働きながらなので、就業時間外にいかにして時間を作りだすかということであった。当時、残業も多く帰宅時間も遅かったので、よく、往復の通勤電車の中で専門書を広げたり、模擬試験の答案を書いたりしていた。土日には、家族には申し訳なく思ったが、よく図書館通いをした。合格率10%前後の比較的難しい試験であったが、おかげさまで運よく合格し、その資格名を名刺に記載すると、初対面の人の態度がこうも違うかと驚かされたこともあった。
このような業界内でも一目置かれる資格は、社としてもメリットがあるので、積極的に後押しすることにしている場合が多いのではないだろうか。勤めていた会社でも、兼ねてより個別的には受験者に対する支援を行っていたが、丁度、自分が人材育成の責任者になった頃、大々的に資格取得支援システムを構築することにした。筆記式の試験なので、既存の合格者の答案を提出させ教則本を作り、教師役を社内から集め添削指導をすることにした。合格時には報奨金を与えることにして、指導役の社員にも金銭的に苦労に報いるように配慮した。そうなると、支援に要する費用も馬鹿にならない額になったので、「資格を取って、やめられたのでは元も子もないではないか」との批判もあったが、大半の社員が留まることを前提にすれば、戦力になることは間違いない旨を説明し説得したところ、全社的な方策として導入されることになった。「諦めない、あせらない、割り切らない」をモットーに、合格の近道やコツを提示し、指導者用の指導要領見たいものを作成してノウハウを社で共有できるように配慮した。この支援システムは自分が退職後も継続運用され、既に、30年近く経つのではないかと思う。正確な合格者の総数はわからないが、毎年行われる試験で何回受験してもよく、平均すると3回程度受ければ合格する場合が多かったので、このシステムを利用し真面目に自己研鑽した者の大半は、既に、合格しているのではないかと自画自賛している。
資格は、合格すればそれで終わりというわけではない。常に、資格の名に恥じない実力を保っておくことが大事である。資格と実力の関係は、必ずしも、どんぴしゃりと一致しているわけではなく、図に示すとおりではないかと思う。まず、図中bゾーンの人は、資格を持っており実力もあるケースで、名実ともに過不足がないので、何の問題もない。後は、実力が低下しないように、自己研鑽を続けることである。次に、cゾーンの人は、実力はあるが資格を取得していないケースである。車の運転で言えば、無免許運転ということになる。このゾーンに入るのは、いわゆる、たたき上げの人によく見かける。試験には適齢期があるので、仕事に追われているうちに、いつのまにかその年齢を過ぎてしまった年長者もこのゾーンに多い。学ぶ習慣に乏しいので、試験の準備を全くせずに、試験会場に足を運ぶ人も少なくないのではないだろうか。どんな試験でも、試験にはコツやテクニックがあるものなので、たとえ指導者が後輩であっても、その指導を仰ぐのが得策である。社としても、このゾーンにいる人に何とか資格を取ってもらうように、強力にバックアップすべきと思う。
資格を考える上で注意すべきは、aゾーンにいる人で、資格は持っているが実力を伴わないケースである。車の運転で例えれば、ペーパードライバーである。資格マニアの人にもよく見かける。受験に受かるためだけに勉強し、何とか受かったものの、その後のフォローは一切しないという場合である。何といっても、実際の仕事は経験がものをいう世界なので、このゾーンに入る人は、資格が取れたからといって安閑とせず実務経験を積む必要がある。資格に受かったことを機に、それに恥じない実力を身に付けるように心掛けるべきである。
サラリーマンの世界は実力社会であるとはいえ、相変わらず、学歴などの就職する以前の経歴がものをいうというのも事実である。幸運にも恵まれた境遇に生まれ高学歴を獲得した人はそれでよいかもしれないが、そうでない人は、就職してから如何に努力しても、その差を乗り越えられないと思ってしまい、あきらめの境地に陥ってしまう人も多いのではないだろうか。資格は、そういう人にリベンジのチャンスを与えるということで大きな意味があるように感じる。現に、勤めていた会社では、前述の資格をポストの要件としていたが、最高学府と呼ばれている大学を出た人で、それだけの理由ではないかもしれないが、その試験に受からなかったため昇格できなかったのに対し、何らかの事情で大学へ行けなかった人が努力しその資格を取得し、ポジションを獲得したという例もあった。ある意味、資格はハンディキャップを克服できる魔法の杖ともいえるような気がする。資格は、本来、実力を証明するものであるが、必ずしもそうなっていないケースが散見されるなど、功罪相半ばする面があるかもしれないが、少なくとも、過去不遇であった人に、いくつになってもリベンジのチャンスを与えるということで意義があるように思う。かくいう自分も、資格を取得したことによって、社内外で様々なチャンスが巡ってきて、サラリーマン人生の折々において、助けられた場面が少なくなかったことを今にして感じている。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。