自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > 社史編纂・記念誌制作 > 風間草祐エッセイ集 > 19.競争と共闘-協会というもの-

社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

19.競争と共闘-協会というもの-

 どのような業界にも、その業界で仕事をしている民間会社が集まった〇〇協会と呼ばれる業界団体がある。傍(はた)から見ると何をしている団体だかわからないが、よく、何かその業界に関連した社会問題が発生すると、業界を代表して業界としての見解や態度表明をすることにより、その存在が世間に知られることとなる場合が多いのではないだろうか。専従職員の他に、その業界を所轄する官庁から3~4年の交代制で天下りする幹部の主要ポストがあり、後は会員各社からの出向者で成り立っている組織である。売上高、社員数など規模に応じて傾斜配分された会員である各社からの会費を原資にして運営がなされている。社会資本整備(公共事業)を主な生業(なりわい)とする業界の場合、図に示すように、所轄官庁は直接の顧客でもあることになる。そして、協会は顧客でもある所轄官庁に対する業界の窓口的な役目を担うことになる。所轄官庁としては、協会を通して、新たな施策を通達したり、施策を実行するにあたり裏付けをとるための実態調査を依頼したりする。民間各社としても、所轄官庁に対して何かを要望したり提案したりしたい場合は、一旦、協会に申し出て、協会が各社の意見をまとめ業界の総意として所轄官庁に伝えることになる。言ってみれば、協会は、いわば組合みたいな性格の組織である。

社史関連エッセイ挿図19


 勤めていた会社の業界にも、協会と呼ばれる組織があった。50代半ば頃から、社の代表として、協会内に常設されている経営委員会、企画委員会、総務委員会など、色々な委員会の委員として参画するようになった。会員各社からも人選された社員が、委員として関わっていた。これらのメンバー同士は、普段は競合他社の社員として個別案件を競って取り合っているわけであるが、この時ばかりは、共闘を組んで所轄官庁に対峙することになる。協会としては、報酬(技術者単価や歩掛り)のアップ、公正な入札形式の導入、新たな役割の創設などを要望したり提案したりするわけであるが、その根拠となるデータを会員の意見を聴取し取りまとめる必要があり、これが一苦労である。また、時代時代の業界としての課題や懸案事項に対しても、業界としての解決策や対応策を考案し提示する必要があった。たとえば、談合問題が発生したときには、倫理委員会のメンバーとして倫理規定を改定したり、成果品の電子化が叫ばれるようになったときは、新たに電子納品の委員会を立ち上げ、施策の原案を策定したりした。この他に、年1回活動報告として出される白書のとりまとめや、数年おきに打ち出される業界のビジョンや行動計画の策定にも関わった。

 協会に対するスタンスは、会社によってだいぶ振る舞い方が違っていた。最も協会活動に力を入れていた会社は、協会に進んで社員を送り込んでいた。それも、一定期間の出向というのではなく、会社には戻って来ずに協会で定年を迎えるという、いわば、片道切符の移籍と同様のようであった。その会社は、公共事業一辺倒の会社で、役所のOBを多く割愛申請し厚遇していた。経営幹部には、旧帝大出身者が顔をそろえていた。協会代表という肩書で顔を売り、協会という立場を通していち早く役所の情報をつかむために、協会活動を経営戦略の一つとして考えているようであった。従って、一緒に協会の委員会活動をしていても、委員長など、直接、役所と対面できるポストをとることに執着していた。他社より一歩先んじて役所との仲介役を担おうとする傾向があった。役所も、暗に、どこの会社の人間であるかどうかがわかるだろうということを見越して、自社を売り込もうとする節もあった。社内的にも、協会活動をしていることが、人事評価に反映されたり、昇進の理由になったりしているようで、出世を考えた場合にプラスに作用しているようであった。

 それとは正反対に、協会活動に無関心で、熱心でない会社もあった。もともと外資系の会社で、公共に頼らず、民間にも力を入れていた。もちろん役所のOBは社の要職にはつかせないと明言していた。経営幹部は、出身校に執着しない布陣を敷いていた。外部からしばられずに自由に経営をしたいと株式も上場していなかった。協会からは一歩引いていて、案の定、余り汗をかかず、行動を共にするというよりも距離を置いている印象であった。社内でも、協会活動は個人が好きで勝手にやっているに過ぎず、何ら評価されないと話していた。

 自分が勤めていた会社はどうかというと、その中間であったような気がする。経営幹部は、戦後、設立された当初は、最高学府と呼ばれる大学の出身者でしめられていたが、時代の流れとともに世代も移り変わり、今は、私大出身者も経営幹部の一員として名を連ねているようになってきている。自分も含めて委員として活動していた人は、それなりに汗を流していたし、成果もあげていたと思われるが、組織というよりも、どちらかというと個人の頑張りに頼っていたきらいがあったと思う。考えようによっては、前述の2社に比較し、どっちつかずの中途半端の取り組み姿勢であったとも言えるかもしれない。社内的な取り扱いについては、必ずしも、協会活動に汗を流した人が評価されたり、それを理由に社のポストを獲得するというわけではなかった気がする。言ってみれば、業界通として認識され、経営幹部の手元として便利使いされていることが多かったように思う。逆に、全く協会活動を何もしていなかった人が、社の要職に座っていたというだけの理由で、会社相互のバランスを図るために、落下傘で協会の要職についたということもあった。

 協会活動をやっていた頃を思い起こすと、役所の要請に期限までに回答する必要があり、急いで会員各位に意見照会を行い、その結果をまとめて協会上層部の承諾を得て役所に急いで提出するなど、やることが大変多かった。とても、日常業務の片手間ではやりきれないものばかりで、各社とも委員になった人の個人的負担は相当のものがあったと思う。協会でも、公共事業を主たる仕事としていない業界の場合は、所轄官庁が顧客ということはほとんどないので、協会活動がダイレクトに自社の業績に繋がるというわけではないと予想される。しかし、所轄官庁が直接の発注者ともなりえる業界の場合は、協会活動と社業との繋がりはより濃厚なので、協会のメンバーとしても、シビアな振る舞いが要求されてくるように思う。

 勤めていた会社も色々な分野の公共事業に関わっているので、その分野ごとに協会というものがあったが、その構図は概ね同様のものであった。それらの活動を見ていると、協会という組織は、官(発注者)と民(受注者)が意思の疎通を図りながら社会資本整備を円滑に進める上で、必要なものなのかもしれない。協会に対する考え方は、会員各社の社風や思惑などによって、相当温度差があるのが現状である。しかし、業界全体の健全な発展を願うならば、やはり、協会活動は公平が原則でフェアな形で行われるのが望ましいと思う。協会活動に要する汗は応分にかくとして、その恩恵として得られた果実も公平感を持って会員皆が享受するのが順当である。間違っても、協会を社業の道具に使ったり、協会を利用し自社が得するような要望を役所に提出したりするなど、立ち回りの上手い会社が得するようなことがあってはならないと感じる。場合によっては、抜け駆けを許さないために、協会内に内部統制的な仕組みを導入する必要もあるかもしれない。ポストに関しても、会員皆が納得する公平なルールが必要な気がする。最後に、これまでの協会活動の経験から思うことは、同業他社とは、普段は競争相手として腹を探り合い駆け引きをしているとはいえ、災害など緊急の際には、ホットラインを通じて腹を割って話せばわかるという関係を築いておくことが大事であり、そのような業界としての一体感を醸成するのも、協会の大きな役目の一つであるように思う。

 




風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。