弁護士会、会計士会、税理士会など、「士(さむらい)」のつく資格を取得した者からなる団体というのはいくつもあるが、業務独占資格ではないけれども、技術者の場合も、資格取得者からなる同じような組織がある。技術分野としては、ほぼ全産業に渡っており、大学の学部でいえば工学部、理工学部の卒業者で、同じ技術系の国家資格に受かった者同士の集団である。図に示すように、ほぼ全産業を網羅した部門があり、全国各地に地域本部もある。誰でもその資格試験に合格した者は会員になれるが、民間会社に勤めている人がほとんどで、官庁や大学に勤めている人はほんのわずかである。官学に気づかいはするものの、あくまで民間が主役の集まりといえる。個人参加が原則であるが、組織として力を入れている会社もある。地方に行くと、その地域の産業界の名士と呼ばれるような会社が積極的に参加していることが多い。また、会員の中には、特定の会社に属さず、資格に合格したことにより念願だった独立を果たし、自分の名前を冠に付けた事務所を開設している人も少なくない。
この資格は、社会人になってからある程度の経験を有していることが受験の要件となっており、合格率も5~10%と比較的難しいので、受かった者同士、お互いをレスペクトしあう傾向があり、仲間意識も強い方である。初めて会に出席した人は皆びっくりするが、お互いを「〇〇先生」と呼び合う習慣が今も残っている。20代の終わり頃、その試験に運よく合格し会員になったが、社内の人に誘われて会の活動に参加したのは40歳近くになってからであった。初めて会合に参加して驚いたことは、その年齢では、私はまだ青年の部類に属するということであった。それもそのはずで、その会は、本人がその気ならば、生涯、会員でいられるので、平均年齢が高く80歳を過ぎた長老と呼ばれる人も何人もいた。
会に関わり始めた40代初めの頃、自分の専門部門の試験委員を拝命したことがあった。筆記試験は夏の盛りに行われるので、採点は9月半ば過ぎから一斉に開始されることになる。回答は全て記述式なので、全国から集積された答案を、部門と専門科目ごとに選定された数人の試験委員で手分けして見ることになる。採点の公平さを期すために、2人1組になって採点し、予(あらかじ)め採点基準は決めておいて、点数に大きな差異が生じた場合は、再度、見直すことにしていた。相当数の答案を定められた期限までに見るのに、多大な時間と労力を要したのを覚えている。試験委員の任期は3年であったが、2年目からは少しずつ要領がわかったのでペース配分ができたが、1年目は、答案の隅から隅まで一字一句見逃さずに目を通していたので、寝る暇もなかった。筆記試験合格者は、年末に口頭試験を受けることになる。口頭試問は、記載されている内容が、間違いなく本人の経験に基づくものであるかを確かめるために行うが、同時に、必ず技術者倫理について設問するようにしていた。この資格は倫理を重要視しており、守るべき義務や責務として、信用失墜行為の禁止、秘密保持、公益の確保などを定めている。社会的問題となった水俣病事件、雪印乳業中毒事件や、注目を集めた米国のチャレンジャー号事故などの経験を参考にして、技術者として守るべき倫理要綱が策定されていた。
この会の特徴として技術者倫理の他に社会貢献にも力を入れていた。東日本大震災の際には、原子力や防災部門の専門家が現地に乗り込み、役所に対して技術的なアドバイスをしたり、地域住民に対して避難訓練などの指導をしたりと、直接、被災地に対して支援を行っていた。定例的な活動としては、年間行事として、大概、地域の産業文化会館みたいな所を会場にして、全国大会を開催していた。何周年記念のような区切りのよい年には、皇室の列席を願うこともあった。その他に、定期的に行われるものとして、部門ごとの講演会や見学会が毎月開かれていた。部門に関係した学識経験者や著名人の話を聞いたり、進行中の現場や完成後の関連施設などを訪れたりした。50代の初めに、部門の部会長を引き受けていた頃は、全国大会に本部の部会長として出席するだけでなく、毎月の行事を計画し滞りなく実行したりするのに、結構、時間を割かれた。
60代に入り、本部の企画委員会、事業委員会などの常設委員会の委員長もやるようになり、会全体の運営にも関わるようになった。そうなると、徐々に、会の内部事情も分かるようになり、それまではあまり気にしていなかったが、「ここにも勢力争いがあるのか」と思う場面に何度か出くわすことになった。特に、会長のポスト争いは辛辣(しんらつ)なものがあった。会長職になることは名誉なことであり、天皇の園遊会などにも招待されるなどいくつかの特典もあった。それに、公益社団法人の会長を務めた経験があることは、勲章をもらう上での、強い理由の一つになるのである。普通、叙勲というと、官僚出身者や学者しか対象にならず、民間育ちには縁のないものかと思っていたが、民間出身者にも黄綬(おうじゅ)褒章(ほうしょう)という産業界で功績があった人に与えられる勲章がある。現に、会長経験者の何人かは、この勲章を手中にしていた。そんな背景もあり、会長ポストの争いは激しく、学会のように学閥の争いはなかったが、部門間の競争もあったし部門内での競争もあった。会の仕事をしている中で、いつの間にか、その渦の中に否応なく巻き込まれ、些細なことに拘泥(こうでい)することもあった。そんなとき、どこからともなく登場するのが長老で、長老の意見が大きな力を持っていて、鶴の一声で物事が決まっていくのを目の当たりにしたこともあった。
どんな団体でも、集団ができるとポスト争いが生じるのは、人間の性(さが)のなせる業なのかもしれない。協会、学会でも経験したが、またしてもそれに遭遇することになり、人間の名誉欲、支配欲というのは尽きないもので、年を取ってさらに増してくるようにも感じられた。しかし、どんな組織でも世代交代は必要で、いつか後進に道を譲らなければならないのは必然である。年長者の貴重な経験は組織の財産であり継承していくべきであるが、出しゃばりすぎて現役世代の自主性を妨げては組織のためにならない。組織を去る時、引き際は、潔(いさぎよ)さが大事で、間違っても院政を敷いて影響力を保持するなどして、傍(はた)から老害と揶揄(やゆ)されないように、身の振り方をわきまえておくことが肝心であろう。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。