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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

24.衣食は軽んずるなかれ-自戒の念も込めて-

 これまで、海外の旅を題材にした紀行文や、仕事や生活上の様々な出来事を綴ったエッセイをいくつか書いてきたが、それらを読み返して改めて感じるのは、衣食に関する記述が欠落していることである。旅の思い出、旅先で遭遇した出来事を振り返っても、そのときの情景や様々な人と接したときに抱いた感情は蘇(よみがえ)るのだが、誰が何色のどんな服を着ていたとか、どこで何を食べたかという記憶は驚くほど希薄であり、文章に起こすことはとてもできない。人というものは、興味のあることはいつまでも覚えているが、そうでないことは記憶に残らないものであると、つくづく感じる。

 思い起こせば、衣服も含めた身の回りのことに関しては、子供の頃から興味が薄かった。自分が通った高校には制服がなかったが、クラブの朝練に備えてテニスウェアのまま自転車で登校し、着替えもせずにそのまま授業を受けて、放課後もテニスをして帰宅するまで、1日中同じ格好であったように思う。大学時代にスキーを覚えたが、よく、何かを始めるときに真っ先に道具をそろえるタイプの人がいるが、真逆で、大学の保養所のあった白馬に初めてスキーに行ったとき、スキー板は当然レンタルで、スキーウェアは買わずに、上はボーイスカウトの山用のヤッケを着て、下はジーパンのまま、手袋も買わず軍手でゲレンデに立ち、いきなり滑り始めて、何回も転んで全身がずぶ濡れなったのを覚えている。大学時代から眼鏡をかけ始めたが、フレームが破損した眼鏡を自分でセメダインで補修し使っていたこともあった。社会人になり東松山の技術研究所に勤めていたときも、ジーパンのまま出社し、着替えずにそのまま作業をしていた。なんと、バンドをせずに、荒縄を代用していたこともあった。現場に行くときは、流石に、作業着を着て行ったが、会社から支給された会社のロゴ入りの作業着ではなく、自分が勝手にスーパーかどこかで購入したものを着用していた。入社後3年近く寮生活をしたが、一番面倒臭かったのが洗濯であった。洗濯回数を減らすために、下着は、前後、表裏を交互に代えながら使用したり、一旦、ほとぼりが冷めるまで押し入れに置いておいて、再使用したりしていた。たまに洗濯もしたが、洗い物を入れ過ぎて洗濯機が回らなくなったり、下着を干したのを忘れて何日も放っておいて、気が付くと風で隣の家まで飛んで行ってしまったりしたこともあった。

 結婚してからは、自分で洗濯することもなくなり、独身時代の着た切り雀状態からは解放され、それまで区別していなかった夏冬服の仕分けなど衣服の一切を女房が面倒を見てくれたので、格段に清潔になり装いも常識的になった。以来、現在に至るまで、自分で下着や靴下一つ買ったことがない。結婚して1年ほどして本社に転勤になり、背広が毎日必要になった。背広は、大概、女房が用意してくれた紺、茶、グレーのいずれかを着ていたが、衣服に無頓着で構わない習性は健在で、大胆不敵にも、知人の紹介で手に入れたダーバン製の黄色の背広を平気で会社に着て行っていた。しかも、尿漏れで股間部分が黄ばんでいるのも気づかすに、奇抜な格好が気に入っていたのか、人の眼も気にせず悦(えつ)に入っていた。次第に、夏冬とも一定数の背広やオーバーも必要になり、多少ぴったりしていなくても、父の背広や、違うネーム入りの義父のオーバーなども気にせずに着用していた。一度、朝、慌てて家を出て、電車の中で大学時代のブレザーを引っ掛けて出勤したことに気づいたこともあった。40歳前後の課長になるかならない頃、部長から、「君、バンドはしないのか」と窘(たしな)められたことがあった。言われて初めて、就職後15年近く、バンドをする習慣がなく過ぎてきたことに気づかされた。免許の書き換えに行った際、警察で新しい免許を受け取るため古いものを差し出したとき、新旧の免許の写真を見比べ、同じネクタイをしていることに気づき、思わず隠してしまったこともあった。就職してから整髪料を使っていなかったため、何時も髪はぼさぼさでもみあげを伸ばしていたので、一度、顎(あご)鬚(ひげ)を伸ばしている同僚と二人で顧客の所へ行った際、打ち合わせが終わった後、「君の所は皆、これか」と両手でもみあげに手を当てて言われたこともあった。床屋は、3~4カ月に1度ぐらいしかいかなかった。社員旅行に行った際、後輩から「旅行のときも、出勤のときと同じ鞄(かばん)ですね」と少しためらいがちな表情で言われたこともあった。もう定年近くになってから、時計が趣味の後輩がいて、法事のお返しのギフト券で手に入れた5000円相当の腕時計をしていて、含み笑いをしながら、顔をまじまじと覗き込まれたこともあった。ことほど左様に、およそ、サラリーマンらしくない風体で、常識人から見れば、無頓着を通り過ぎて、傍若無人の極みと映っていたに違いない。「自分が構わないと、人も構わないと思ったら大間違いで、身なりを気にする人は、人の身なりも気になるものよ」と女房に言われて、初めて気が付くという始末であった。

 身なりと同様、食べることに関しても、昔から無頓着で構わない習性があった。子供の頃から、食べ物の好き嫌いはほとんどなかったが、特別好きな食べ物もなく、強いて言えば、子供の頃よく食卓に登場した油揚げ、煎餅、みかんなどの柑橘類を、好んで食べていた。しかし、総じていえば、食事は腹の足しになればよいという考え方で、腹が減ったとき適当に済ませればよく、楽しむという気持ちはさらさらなかったように思う。だから、口に運んで詰め込むように食事をするので、今でも食べるのは速い方である。これは、小学校高学年から入っていたボーイスカウトのキャンプで時間をせいて食事をするという習慣の影響もあったかもしれない。食事を作ることも余りしないが、あえて自分でもできる料理を挙げれば、キャンプでよく作る汁物、野菜炒めと延長線上のチャーハン、学生時代バイトで経験した焼き鳥やたこ焼き、広島の仕事で連日食べているうちに覚えたお好み焼きぐらいであろうか。学生時代に下宿したときも作るのは即席ラーメン位で後は学生相手の安い定食を食べていたし、社会人になって単身赴任をしたときも、女房が作り置きしてくれた食材を温めて食べたり、専ら外食で済ませたりしていた。

 社会人になってからも、自分が食事に拘らないので、人もそうかと思い失敗したことが何回かあった。定年前後の話であるが、社外で開かれたパーティーに直属の上司と一緒に行ったとき、こちらはパーティー会場である程度食べられたが、上司は、挨拶や顧客の相手をしていて食べる暇がなかったことがあった。それを知らずにパーティーが終了後2次会へ行ったときのこと、「つまみ」はどうするかということになり、こちらは、ある程度腹も満たされていたので 悪気があったわけではないが、「乾きもの」でよいと思い注文しようとすると、その上司が「君はよいかもしれないが、まだ、十分、食べていない人もいる」と、さぞ無配慮、無神経に映ったのであろう真顔で叱られたことがあった。

 食事の大切さを知ったのは、30代の中頃、仕事で忙しくて、ときどき昼食を抜いたりしていて、大病を患ったときである。急性肺炎であったが、図に示すように、きちんと3食取らないと、一時的にでも免疫力が落ちてしまい、病原菌は常に周りにあるわけなので、思わぬ病気に感染してしまうことを痛感した。「人間は飲食をすることにより生きている。人間は食べてなんぼだ」というのを実感したのは、マラソンの経験からであった。フルマラソンなど長距離の場合、後半になると覿面(てきめん)に腹が減ってくる。エネルギーが尽き、いわば、ガス欠状態になると、一歩も歩けなくなる。そうならないために、フルマラソンを走るときは、図に示すように、経口補給剤OS1の粉末を化粧箱に小分けして入れておき、ハーフを過ぎたあたりから、概ね5キロごとにある給水所で口に含み水で流し込んでいた。そうするとエネルギーが補給され、不思議と力が蘇(よみがえ)るので、また、走り続けることができた。 

社史関連エッセイ挿図24

「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある。衣食は人間が生きる上で、体温を保持し健康を守り、活動するためのエネルギーを生み出す基本的な事項であり、それが満たされて初めて、礼儀や節度という行動が期待できるという意味である。翻(ひるがえ)って、自分のことを考えると、生来、衣食に関して無頓着で、衣食を軽んじてきた自分が、曲がりなりにも普通の社会生活を営むことができ、おまけに、ときたま、人前でもっともらしい講釈をたれたり、それを書で表したりすることができているのは、自分はしかとは意識していないかもしれないが、実は衣食が足りていたからで、それは、衣食に関して面倒を見てくれる人が傍(そば)にいたからに他ならないということなのだろう。独身のときは親が、結婚してからは女房が無頓着を補うように気を使ってくれたからである。そう思うと、特に、女房には感謝に堪えない気持ちになる。いつも、自分は人も同じ思いだと勘違いするきらいがあることを肝に銘じ、事にあたるべきだと、今更であるが自らを戒めている次第である。

 


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』など。