これまでの人生で、本格的に演劇に関わったことはない。ミュージカルや歌舞伎などを、ときたま見ることはあったが、特別、観劇が好きというわけでもなかった。しかし、表に示すように、学生時代、サラリーマン時代、退職後を通じて、縁あって、何回か観客の前で役を演じたり、脚本を書き演出に関わったりしたことはあった。生来、自ら何かに扮したり、仲間たちを巻き込んで劇を創作したりするのが嫌いではないからであろう。一番最初は、幼稚園のときで、仲間の園児たちと子供番組に出たことがあった。テレビで放映されたが、当時、家にテレビがあるところは少なく、我が家もなかったので、プロレスや相撲放送で人がよく集まっていた街頭テレビで家族は生放送を見たようであった。リズムに乗って輪になって踊ったとのことであったが、何を踊ったかは、全く憶えていない。小学校高学年のとき、教科書に「晩鐘」「落ち穂拾い」などの絵画で知られるフランスの画家ミレーの生涯の話が載っており、学芸会でミレー役を演じた。そのときのチョッキを着てパレット片手に「晩鐘」の絵に見入っている姿が写真に残っている。ミレーの生き方に特に感動したわけでもなく、さしたる考えがあって演じたわけではなかったからであろう、ストーリーや場面、セリフの一つも全く記憶に残っていない。
中学校時代には、よく、ボーイスカウトでキャンプに行ったとき、キャンプファイヤーの際、スタンツと呼ばれる寸劇を演じた。大概、班単位で出し物を即興で決めて、ぶっつけ本番で数分間、歌や踊りを交えて営火の周りを回っていたように思う。高校時代には、学園祭で「桃太郎」を演じた。あらすじは、原案と変わらなかったと思うが、鬼役がやる気一杯の女生徒で、コメディータッチのストーリーになっていたように記憶している。この頃は、図に乗る癖がついていたようで、言われるままに、体育祭でもミス原始人の格好で仮装行列に参加したりしたこともあった。大学時代は、地域のいくつかのボーイスカウト隊からの要望もあり、ローバースカウトの仲間たちと組んで、キャンプファイヤーにゲスト出演し、スカウト伝統のアフリカの部族の踊りをアレンジしたものを披露したりしていた。大学3年のとき、八丈小島に無人島合宿をした際には、海の神々に祈りをささげるということで、皆、思い思いに仮装し、手作りの神輿(みこし)を担いで海辺まで行って、祈祷(きとう)を行ったこともあった。
就職してしばらくは、演劇に関わることもなかったが、軽音楽サークルを始めたのがきっかけで、暮のクリスマスパーティーの余興として、手作りのフロワー劇を演出することになった。勤めていた会社は、毎年暮れに、渋谷のホテルのワンフロワーを借切り、クリスマスパーティーをやるのが恒例となっていた。クリスマスパーティーのプログラムは、セミプロのバンド演奏を聴きながら食事をするだけで、さしたる催し物はなかったが、それでは面白くなかろうと、軽音楽サークルが中心となり、社員によるフロワー劇を催すことを思いついた。演題は「白雪姫」で、脚本、演出、監督までの一切を自分が担当することになった。配役は、社内を見回しながら、頭に描いたイメージとあうような個性を持つ人を選ぶことにした。主人公の白雪姫役は、受付の人気のあった小柄な女子社員にお願いした。王子役は、身の軽いフットワークのよい男性社員にした。嫉妬心の強い継母の女王には、化粧映えのする造作の大きい大柄な男子社員を選び女装させることにした。小人役は、元気のよい小柄な男女二人の社員を選んだ。その他に、ナレーターを、会社の総合電話受付窓口の声の通る女性にお願いした。その結果、配役は全て入社数年以内の若手社員ということになった。これらの役に必要な衣装は、貸衣装屋を探し、直接、自分で借りに行った。また、白雪姫が横たわるベッドなどはホテルのソファーを代用するなどして、できるだけ、手間と経費のかからないように工夫した。
配役は決まったものの、仕事の合間を縫って、皆のスケジュールを調整し、練習時間を作るのが大変で、結局、合同練習は会社の会議室で2、3回やっただけで、本番を迎えざるを得なかった。ストーリーは、皆、よく知っているグリム童話の原案とほぼ同じとし、舞台がホテルのフロワーなので、常に周りには観客がいてざわざわしていると予想されたので、ナレーターがマイクで場面の説明をし、セリフというよりも演技者の派手な動きとパフォーマンスで、観客を引き付けるようにすることとした。バックミュージックとして、家からカセットテープを持ち込み、クラシックからフォークソング、流行歌まで織り交ぜて、場を盛り上げるように効果的に使用した。王子が無事白雪姫を救い出し目覚めさせた後は、めでたしめでたしということで、当時、流行っていた「さだまさしの関白宣言」で締めくくり、拍手喝采の中で幕を閉じた。演技者が興に乗ってアドリブで脚本以上のパフォーマンスを発揮するということが随所に見られたのは、演出を担当したものとして思わぬ発見であった。このフロワー劇の評価は上々で、自分はそれ以降関わらなかったが、その後、クリスマスパーティーの恒例の出し物となり、何回か続いたようであった。
それから20年近く、ときたま観劇に行ったことはあったものの、劇の創作に関わることはなかったが、50歳の頃、子供の発案で家族皆で芝居をしてDVDを製作することになった。内容は、いわゆる「刑事もの」で、殺人事件が発生し、刑事が捜査の末、犯人を突き止めるというサスペンスであった。当時、藤田まこと主演の「はぐれ刑事純情派」などのミステリーがテレビで放映されていたので、それに影響されたのかもしれない。配役としては、自分が主人公の刑事に扮し、女房と次男が聞き込みなどをする補佐役の刑事、三男が被害者、長男が犯人役で、当時飼っていた愛犬も、謎解きに一枚噛ませることにした。殺人現場は、いつもの愛犬の散歩コースの林の中とし、犯人の潜伏場所は我が家とした。「何をやっているのか」と怪しまれないように、できるだけ人通りの少ないときを狙って、近所の眼を気にしながら芝居をして、それをビデオで撮影した。脚本は当時中学生であった三男が書き、撮影、BGMと編集は長男が担当した。仕上がりは15分程度の短いものであったが、家族で見て楽しむだけでなく、ストーリーを練り上げた三男の結婚式で、先方の家族もいる中で披露した。先方の家族はどう思ったか定かでないが、戸惑いとともに、アットホームな雰囲気は伝わったのではないかと思っている。三男は、大学卒業後イベントの会社に就職したが、その頃から、その片鱗を見せていたのかもしれない。
それから約20年後、退職してから性懲(しょうこ)りもなく、また、演劇に関わることになった。埼玉県では、60歳以上のシニアを対象に「いきがい大学」というものを開校していて、家から車で30分くらいで行ける入間学園に、女房と2人で入った。いきがい大学では、普通の大学と同様に、年に1回学園祭があり、班やクラブごとに、歌や踊り、芝居などを発表することになっていた。自分が属した班は、相談した結果、年齢的に、皆、関心があると思われる振り込め詐欺を扱った「私はだまされない」という創作劇を演じることにした。題材として、還付金詐欺、オレオレ詐欺、救済金詐欺の3つのタイプを扱うこととし、その脚本、演出、監督を自分が務めることにした。班員は全部で12人で、全員に役に付いてもらうよう配役を考えた。詐欺グループは、指示役1人、かけ子男女各1人ずつ、受け子2人の計5人とした。詐欺グループのターゲットとなる一般家庭の主婦役は4人としたが、その内の一人は、実際に振り込め詐欺の被害にあった人で、悔しかったのかその役をかってでただけあって、役に徹し熱が入っていた。その他の配役としては、銀行員1人、警察官1人とし、進行役としてナレーター1人を置くこととした。皆、客から見て誰が何役かわかるように、首から役名の書いた名札をぶら下げることとした。練習は、授業の始まる前と、終了後に時間を取ってやることにしたが、始めてみると全員がセリフを覚えることは難しいとわかったので、台本を見ながらでもよいことにした。
本番では、舞台上に、テーブルを扇形に並べ、各テーブルを、振り込め詐欺グループのアジト、一般家庭、銀行、警察署と見立て、その旨垂れ幕に明記した。小道具としては、固定電話、携帯電話、芝居の為に誂(あつら)えた札束などを用意した。初めの還付金詐欺は、市役所の職員を騙(かた)ったかけ子から電話を受けた主婦が、ATMまで誘導され、お金を振り込んでしまうというシンプルなストーリーとした。2つ目のオレオレ詐欺は、大勢の配役が登場する劇場型のストーリーとした。まず、息子を装ったかけ子が、手に入れた卒業名簿をもとに、片っ端から「大金の入った鞄(かばん)を電車に忘れた」と電話をかけまくる。何件目かの主婦が、まんまとそれに引っかかり、銀行で大金をおろし、息子の会社の同僚を装った受け子にお金を渡してしまうというストーリーである。しかし、これで終わってしまったのでは、悪がはびこることになり後味が悪いので、3つ目の救済金詐欺の話を付け加えることにした。この話は、振り込め詐欺の被害者を救済する目的で地域の放送局が番組を企画し、そのスポンサーからの拠出金を救済金に充てるという架空の話を持ち掛け、その調整役となる弁護士の費用をだまし取ろうという手口の詐欺である。詐欺グループは、オレオレ詐欺に引っかかった主婦を再びターゲットにして電話をかけてくる。不審に思ったその主婦は、電話を切った後で警察に連絡をとる。そうとは知らずに弁護士費用を取りに来た受け子の後を警察官がつけてアジトを突き止め、詐欺グループは一網打尽になり、最終的には悪は裁かれるということで締めくくることにした。この芝居は、ストーリーを凝り過ぎたせいか30分近くかかり、どの程度、観客満足度が得られたかは定かでなかったが、自分たちとしては、精一杯やり切ったという思いで一杯であった。
人生は、当然のことながら一度しかないが、演劇は、役を演じることにより、誰しもの願望である違う人生を、たとえ瞬間的であったとしても味あわせてくれる。現実世界では、言いたいことがあっても正面切ってはなかなか言えないものであるが、演技者の言葉を介して、少々青臭く思われそうなことでも堂々と表明することができる。複数の演技者の行動を組み合わせ、絡(から)ませることにより、自分の主張を観客に感じさせ、自分の考え方、思想、信条を他者に伝えることもできる。それが、演劇の醍醐味であり魅力である。これまで、自分が関わった演劇が、その域に達しているとは到底思えないが、理屈抜きに、演劇は楽しく、創作の喜びを感じさせてくれるものである。自分は演出のプロでも何でもないので、これから、そうそう機会があるとは思えないが、もし機会が巡って来れば、また、演劇に関わってみたいものだと思っている。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: ―企業人として思うこと―』など。