子供の頃の旅の思い出を振り返ると、小中学校や高校ぐらいまでは、林間学校や修学旅行のように、学校行事の一環としての旅であったり、親が子供の為に計画した旅などで、自らが計画した旅というよりも、参加したり連れていかれるといったいわば受身的な旅であったように思う。もっとも、自分の場合は、学校行事は別にして、両親とも東京生まれで地方に田舎がなかったせいもあり、旅行らしい旅行はしなかったように記憶している。自ら主体的に旅の計画を立て出かけるようになったのは、大学生になってからだと思う。。
旅は、しばし日常生活から離れ、非日常を味わうという点では共通しているが、同行するメンバーによって図に示すようなパターンが考えられる。独身時代を思い起こすと、一人旅はあまり好まず、大概、友人を誘って、海水浴やスキーにいくことが多かったように思う。大学のクラブ活動の一環として合宿と称して国内各地にを旅したりしたこともあった。就職してからは、職場の仲間と社内旅行などにも行ったが、結婚し子供ができてからは、学校休みを利用しよく家族旅行をした。通常、休暇が取れるのは土日を挟んで3~4日ぐらいだったので、行き先は関東近郊が多かったが、勤続20周年のリフレッシュ休暇のときは、1週間以上の休暇と若干の御祝金も出たので、ワゴン車で九州・四国地方を親子でキャラバン旅行をしたこともあった。親子2代の旅だけでなく、夏には実父母と、冬には義父母と、会社の保養所を利用し親子3代で旅行するのも我が家の慣例となっていた。親子3代の旅は、子供のためもあったが、半分親孝行の意味もあったように思う。子供が大きくなり、やがて結婚し孫ができてからは、今度は祖父母として親子3代連れだってディズニーランド、日光、常磐ハワイアンセンター、USJなどに旅行をしたが、これらの旅は、多くの場合、スポンサーとしての役目も担っていたように思う。いずれにしろ、家族旅行は自分にとって家族サービスの一環なので、行く場所は二の次で家族の和を育む機会になればよいと思っていた。
子供が一人前になり独立してからは、夫婦だけで旅行することも多くなった。関東近郊にミステリーバスツアーや果物目当てのバスツアーなどに行ったり、飛行機や新幹線を乗り継ぎ国内の遠隔地にも出向いたりしたが、圧倒的に刺激的で興味をそそられたのは海外旅行であった。50代半ばになり子供も独立し住宅ローンも終了すると、定期的な大きな出費は無くなり、年を追って年間100~150万円程度を旅行費用に振り向けることができるようになった。初めて本格的に夫婦で海外旅行に乗り出したのは2003年54歳の時で、勤続30年目に当たり15日間のリフレッシュ休暇と若干の御祝金が出ることから、新婚旅行以外に大手を振って2週間近く休めるのはこのときをおいて他にないと思い、思い切って海外に出かけてみることにした。御祝金+アルファ程度で収まるように、オフシーズンの11月中旬にオーバーを着込んで、予(かね)てから行きたかったヨーロッパの旅に出かけた。それ以来、そのときの楽しかった思い出がやみつきになり、17年間、世界の各地を旅するうちに、2019年70歳になった年、訪れた国が100ヵ国になった。現役時代、会社帰りに成田空港で家族と落ち合い、背広を預けて、ハワイへ飛び立ったこともあった。女房は、60歳を過ぎてから不整脈が頻発し、カテーテル手術をして一旦収まったものの、旅行に出るときにはニトロは手放せなかった。義母の認知症が進み、自宅で見送るまで介護に専念した時期もあった。60代半ばの年金生活に入ってからは、旅行資金がショートしそうになり、あわててアルバイト程度ではあるが、職を見つけ再就職した。親戚や友人の仏事に出られず不義理したこともあった。などなど、紆余曲折(うよきょくせつ)があったが、今にして思えば、それらの仕事と家庭における諸事情を潜(くぐ)りぬけ、何とかかんとか100ヵ国にたどり着いたというのが正直なところである。
海外旅行は国内旅行と比べ異文化体験ができ、予期しない新鮮な驚きが感じられることが多いと思う。予定調和でない予想外のことに出くわすからおもしろいのである。これまで、ヨーロッパ、アフリカ、中近東・アジア、オセアニア・南北アメリカを巡ったが、旅の目的はそれぞれで、ヨーロッパの街並みを歩き数々の芸術作品に触れ文化の香りを味わったり、大自然の中で暮らす野生動物たちを見にケニアのサファリに参加したり、怒涛(どとう)の勢いで流れ落ちる滝を見に南米イグアスに行ったり、岩壁に囲まれた峡谷にそそり立つぺトラ遺跡を仰ぎ見たり、文明から取り残された民の暮らしを見にパプアニューギニアへ行ったり、エジプトに行き紀元前4500年前の古代文明に触れたりした。
このように雄大な大自然に包まれたり、歴史的建造物を目の当たりにしたり、芸術文化を味わったりすることは海外旅行ならではのものであるが、それに加えてもう一つ海外旅行の楽しみがある。それは、ツアー旅行などの場合に感じるもので、短時間でこそあれ、見知らぬ人間同士が、合い携(たずさ)えて旅するので、同行者の人間模様に触れられることである。初めは、当然初対面であるが、否応なく同じ釜の飯を食うことになるので、旅程が進み、それなりに苦楽を共にすると、旅の中盤戦あたりからお互い気心が知れ初め、打ち明け話が始まる。不思議と、逆説的であるが、これっきりの付き合いだからこそ、日常の付き合いの中でははばかるような深刻な秘め事を、後腐(あとくさ)れなく打ち明けられるというのも事実である。これまでの海外旅行の中で、随分大勢の同行者から、普段口にしないであろう身の上話やその人の生きざまの原点となるような体験を聞くことができた。ただし、日常の煩(わずら)わしさから一時でも離れられるのが旅の一つの良さである以上、深入りは禁物で、共に過ごせる時間を最大限楽しみ後まで引きずらないという気持ちを忘れないことが肝心である。
海外旅行を可能とする要件は5つあると思う。まず、第1と第2番目は、お金と時間の問題である。海外旅行は、それなりのお金がかかるし、時間も要する。住宅ローンがあり子育てにお金がかかる時期はとてもそんな余裕はないし、ヨーロッパやアフリカ、南北アメリカに行くには半日を要するので、少なくとも1週間~10日は必要となるが、そんなに長く休めるのは、盆と正月くらいしかない。そう考えると、毎日、満員電車に乗って自宅と会社を往復し、経済的にも何とかやりくりして日々の生活をおくっている普通のサラリーマンにとって、海外旅行はまさに「高嶺の花」で、行きたい気持ちはあっても、とても叶(かな)わないように思えてくる。
ところが、サラリーマン生活の終盤戦になると、状況は違ってくる。まず、住宅ローンが終わり、子供が自立すれば、経済的に余裕が出てくる。トップシーズンぐらいしか休めなかった現役時代に比べ、第1次定年といわれる60歳を迎え、次に継続雇用の非常勤勤務、やがて65歳過ぎの完全リタイア―と、年齢を重ねるとともに、時間的な余裕も出てくる。このように、お金と時間の問題は、シニア世代になれば段階的に解消していくものだが、ここで、留意すべきことは、第3番目の健康問題で、年齢とともに自由な時間が増していく一方で、体力が徐々に低下していくという現実である。海外旅行は、飛行機で仮眠を取りながら目的地へ行くだけでも、結構、体力を必要とする。ただし、思えば、50も半ばを過ぎれば、人間ドックで何も引っかからない人は稀(まれ)で、たとえ、持病があったとしても、薬で調整して日常の健康を維持しているというのが実情なわけだから、自分の健康上の弱点がわかっていれば、あらかじめ予防薬を持参することにより、旅に備えることは可能であるように思う。総じて、シニア世代になれば、お金、時間は年齢とともに自由度が増し、健康も自分の努力や工夫次第でクリアーできるはずである。
しかし、これらの自分だけの問題以外に、旅に出る上での隘路(あいろ)となるものがもう一つある。それは、第4番目の家庭環境であるで、家を「留守にできない」ということである。小さくはペットのこともあるが、典型的なのが親の介護の問題である。お金、時間、健康の三条件が整っていても、親の介護のため旅に出ることを諦(あきら)めている人は少なくないのではないだろうか。しかし、この問題も、最近は介護施設も整備されてきて、旅に出ている間、親を施設に預けることも可能となりつつあるので、自分が気持ち的に割り切れれば、致命的な障壁とはならず、何とか乗り越えることができるようになってきたように思う。
それよりも、最近、旅を続けていく上で感じることは、「旅に出よう」という第5番目の気力がいつまで維持できるかどうかという点である。この気力が失せてしまえば、たとえ、お金、時間、体力があり、家族に問題がないとしても、決して旅に出ることはないように思う。現に、何らかの原因で落ち込んでいる時などは、「家にじっとしていたい、他人と接したくない」という守りの姿勢になり、とても、旅に出る気にはならないものである。つらつら考えるに、どうやらこの気力こそが、お金、時間、健康(体力)、家庭環境はどうあれ、理屈抜きに、無意識的に自分を旅に誘(いざな)う衝動の原動力になっているというのが真実のようだ。ならば、「この気力の寄って来(きた)るところは何か」ということになるが、それは、一言でいうと、「未知の世界を知りたい、見てみたい、触れてみたい」という好奇心に他ならない気がする。そんな好奇心に突き動かされて、性懲(しょうこ)りもなく海外の旅を続けているというのが実態のようである。
一人旅、友人との旅、夫婦、親子2代、3代の家族旅行、旅の形は色々あるが、旅の醍醐味を味わうための心構えとして大事なことは、計画は練るとしても、けして予断を持たずに旅に出る限りは、きっかけはどうあれ、そこにどっぷり浸かり、見る、聞く、嗅(か)ぐ、話す、触る、5感を最大限研ぎ澄まし、一期一会の邂逅(かいこう)を楽しむことのように思う。そうすれば、必ず、思いもよらない出来事に遭遇し、その旅ならではの、最初から明確な目的を持った旅と比較し遜色(そんしょく)ない、掘り出し物がきっと見つかるはずである。そんな掘り出し物を期待して、体力の続く限り、旅に出たいと思っている。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: ―企業人として思うこと―』など。