物心ついてから、小中学校、高校、大学、職場、地域を通じて、多くの人たちと知り合ったが、現在付き合ったいるのは、表に示すような友人たちである。
最も付き合いが長いのは、小中学校が同じだった13人の竹馬の友と呼べる友人である。馴れ初めは、中学3年のとき雲取山に一緒に登ったことであった。それ以来、皆、中学、高校を卒業し、進学する者も就職する者もいたが、独身時代は、何をするでもなく夜な夜な一人の友達宅がたまり場となり、数人が屯(たむろ)し時間をつぶしていた。夏には、伊豆や千葉の海や山梨の山によく行った。学校を出ると、皆、就職し、順番に結婚した。やがて、子供ができてからは、毎月、近くの集会場を借りて集まっていた。子供が幼い頃は、夏休みに市の保養所があった菅平に2~3泊で泊まりによく行った。親子合わせると、総勢、30~40名の大所帯になり、さながら林間学校のようであった。
子供が中高と大きくなると、家族ぐるみで集まるのは難しくなり、また、子供抜きの元の仲間同士の集まりになっていった。それでも、中学校以来、未だ、途切れずに、あいうえお順に毎年会長を決め、新年会、花見、暑気払い、忘年会など機会を見つけては集まっている。もとより、仕事の話はしないが、子や孫の家族の話もあまりしない。親のことや子供や孫のことで、色々、悩みもあるが、そのことは知っていても、気を使っているのだろうか、余り正面切っては話さないものだ。共通の話題は、昔は、下ネタや車の話が多かったが、今はもっぱら病気の話であり、会うたびに各々が病気自慢をやりだす。癌などの内臓疾患で入退院を繰り返している者もおり、深刻な話もあるが、盛り上がるのは高齢者共通の前立腺の話である。夜間のトイレの回数、頻(ひん)尿(にょう)で失敗した話、精密検査などの体験が披露される。この仲間のよい良いところは、それぞれの事情で長い間離れていても、また会えば、その時間を感じさせずに迎え入れられることである。家族間のトラブルや病気、諸々の理由で、30年近く音信不通であった仲間が久しぶりに訪れた時も、直ぐに、何もなかったかのように迎え入れられた。
高校時代の友人で今も続いているのは、テニスクラブを通じての仲間たちである。皆、高校を卒業し進学したが、大学に入ってもテニスを続けていたのは半分ぐらいであった。それでも、「テニスをやらないテニス仲間」として、折に触れて、メンバーの下宿先に皆で押しかけ雑魚寝(ざこね)したり、スキーやキャンプに行ったりはしていた。就職して結婚し家庭を持った後は自分の生活に忙しく、顔を合わせるのは、せいぜい忘年会や新年会など年に1、2度になった。その間に連絡が取れなくなり、消息が分からなくなった仲間もいた。その後、30年近くが過ぎ、皆、定年を迎え子育ても終わった頃になって、クラブの部長であった友人の声掛けで、再度、テニスをやろうということになった。しかも、毎月である。そうしないと、皆、それなりに用事があるので、2、3回休むと縁遠くなってしまうというのがその理由であった。初め、そんな頻繁で長続きするかと思っていたが、毎月会うようになってから、既に、10年近くが経過している。テニスをするのは2時間程度だが、自分はもっぱら、その後のランチを兼ねた飲み会を目当てに参加している。ビールを飲みながら、昔話や世間話をするのが楽しいのである。しかし、そうは言っても、単に飲み会だけでは、こうも長続きはしていないだろう、やはり、テニスという共通の目的があるから、続いているのだろうと思う。それにしても、だんだん年を取るに従い、身体が上手く動かず目に見えて下手になっていくのは確かなようだ。何時までテニスができるかわからないが、いずれ、また、「テニスをやらないテニス仲間」に戻るのも時間の問題かもしれない。
大学時代の友人で今も連絡を取り合っているのは、クラスの仲間よりもクラブ(ローバース部:ボーイスカウトの青年部門)の仲間の方が多い。クラブの活動内容は冒険部見たいもので、琵琶湖を筏(いかだ)で縦断したり、無人島になった八丈小島へ渡りキャンプ生活をしたりしたが、会えば、必ずボーイスカウト活動をしていたその頃の昔話になる。大学は全国から集まっているので、遠方の人が多く、卒業後、皆で集まるとなると容易ではなく、顔を合わせるのは、お互いの結婚式、先輩が山で事故にあい現場に弔いのハイキングに行ったとき、同期が不幸にして他界したときなど、冠婚葬祭にまつわる時ぐらいになってしまった。そんな中、今年思い立って、その時の仲間4人を誘って、八丈島で漁船をチャーターし、八丈小島に渡ってきた。54年ぶりの上陸であったが、今は、クロアシアホウドリの生息地として知られるようになった島内の山道を、生い茂った草木をかき分けながら、昔のキャンプ地点まで上った。見覚えのある景色を眺めながら行くうちに、忘れかけていた若かりし頃の記憶が蘇(よみがえ)り、昔話に花が咲いた。
勤めていた会社の先輩、同僚、後輩とは、人生において一番多くの時間を費やした間柄だが、意外と、退職してから会うことは、そう多くはない。学生時代の友達とは違うので、中々、現役時代の立場を越えて、打ち解けるのは難しいものだ。退職したら一区切りがついたということで、ともに苦労した昔話で弾むこともあるが、評価や昇進にまつわる嫌なことも思い出すので、相手によって話題を選ぶ必要があり、羽目を外すのも限度があるものである。定期的にOB会などが開催され、現在の会社の状況などを話すが、やはり、上司と部下の上下関係は、無意識かもしれないが、未だに残っていて、中々、学生時代の友達のようには親しくできないものである。ただし、会う用件がはっきりしている場合は、サラリーマン時代の仲間とも、久し振りに会ってみようという気になる。たとえば、昔のプロジェクトの冊子を作るために原稿を寄せあうような場合である。こういうケースは、冊子を作成するという共通の目的があり、その一員としての立場もはっきりしているので、集まりやすく、旧交も温められるものである。
現在、一番多い頻度で会っており友人の数も多いのが、退職後に通った地域の「いきがい大学」の仲間である。「いきがい大学」は1年間在籍しただけであったが、その延長でハイキングクラブに入った。ハイキングクラブは、低山に登ることもあるが、街中の平地を歩くこともある。行き先は、日帰りということで、大概、西武池袋線や青梅線などの沿線が多い。最寄り駅に10時頃弁当持ちで集合し、1日正味3時間、歩行数は15000~20000歩位にはなるので10~15キロは歩くことになり、結構な運動量になる。14時頃までには歩き終わり、それから最寄駅近くで一杯やるのが楽しみである。歩きながら他愛のない世間話をするのも楽しいが、酒が入ってから、ハイキングや山の話に加えて、興が乗ってきたときに聞けるそれぞれの身の上話も興味深いものがある。開催は月に1度同じ曜日と決めているので、予定も立て安い。一応リーダーは決めているが負担にならないように、順番に持ち回りで幹事を決め計画を立てている。家の都合や体調が悪いなどの理由で欠席する人も少なくないが、それでもあまり気にせずに、一期一会を楽しむ感覚で参加している気の置けない仲間たちの集まりである。
もう一つ、女房が同期で作ったオカリナクラブに入っている関係で、初めは練習会場への送り迎えを専門にやっていただけであったが、ひょんなことで、途中からギター伴奏をすることになった。ギターは、就職して間もない頃、クラシックを習ったことがあったり、30歳の頃、仕事仲間とフォークバンドを組んだりしたことがあったが、それ以来、40年以上触ったことがなかった。いざ伴奏する段になり上手く弾けるか心配であったが、昔の記憶をたどりながらギターコードを何とか思い起こすうちに、優しい曲ならば伴奏程度はできるようになった。練習を開始して1年ほどすると発表会の話が持ち上がった。一度思い切って参加してみたが、それが病み付きになり、機会あるごとにギター伴奏で登場し、老人介護施設にもボランティアに行くようにもなった。昔取った杵柄(きねづか)が、この年になって役立つとは予想だにしていなかった。女性の中の黒一点であったが、練習の合間に女性群に接する中で、色々、女性の眼から見た人生にまつわる諸々の話や、それぞれの打ち明け話が聞け、女の気持ち、発想の仕方がこの年になってわかったような気がした。話題は、旅行、親の介護、夫への不満などであるが、様々な事情があるのであろう、子供や孫のことは意外と話さないものである。勿論、経済状況や遺産などのお金の話はほとんど会話に上ってこない。
退職すると、現役時代と異なり人と接する機会が極端に減り、語ることに飢えるというか、寂しいというか、人恋しくなるものだ。勢い、友達に会いたくなるものである。幼馴染、学生時代、サラリーマン時代、退職後を通じて知り合った友達は居ることはいるが、同年輩なので、これから減ることはあっても増えることはない。体調を考えると、徐々に、物理的に会うことも難しくなってくるであろう。既に、その兆候は出ていて、足腰が立たなかったり、病気だったりなどで、会合に来られない人が出始めている。人生は一度しかないものであり、縁あって知り合いともに育んだ友情は、掛け替えのないものである。同時代を共に生きてきた同志として、可能な限り親交を深めていきたいと思っている。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇―働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意―ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ―父からの伝言―』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: ―企業人として思うこと―』など。