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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

46.書き残すこと-生きた証(あかし)として-

 昔から書くことは嫌いではなかった。「好きこそものの上手なれ」というが、小中学校時代に作文を書いたり、高校、大学時代にレポートを書いたりして、先生や指導教官からそれなりの評価を得ることができていたと思う。社会人になってからも、組織の一員として、数え切れないほどの報告書や論文を、必要に迫られ次から次へと書いたが、文章を書くことは大変であったが苦にはならなかった。ただし、それらはあくまで業務に関するもので、いつしか個人として自由な意見を書き残したいという欲求にかられるようになっていった。そんな思いが、定年退職し、サラリーマンとしてのしがらみから解放されると急激に高まり、自分の体験したこと、言いたいことを吐き出したいという気持ちが息せき切って沸き上がってきた。そして、たっぷりある時間を利用し、海外旅行記を皮切りに約10年間のうちに8冊の本を発行した。今は書くことがライフワークのようになっている。

 何かを書こうと思いついてから、構想を練り、原稿を作成し、出版に至るまでの手順は図に示す通りである。

社史関連エッセイ挿図46 class=

 

 ものを書こうと思いついたとき、まず、最初にとりかかるのが、インプットのための情報収集である。情報収集の際にはインターネットや文献を閲覧するのが一般的であるが、自分の場合、頭の中を整理するのに、40年来頼りにしているのが「情報カード」である。川喜田二郎の『発想法‐創造性開発のために‐』という新書版の中で紹介されているもので、著者の氏名の頭文字をとって「KJ法」と呼ばれている。いわば、頭で考えていることを整理し、新しい発想を生み出す方法の一つである。やることは至極簡単で、思いついたことを「情報カード」と呼ばれる小さな手帳サイズの紙片にメモしてファイルしておき、それらがある程度貯まった段階で、類型化し分析を加えるものである。日記ほど形式ばらずに、思いついたことを綴(つづ)ることができ、細切れの日記を書くようなものである。情報カードを知るまで、予定を記入するための手帳は持っていたが、几帳面でないこともあり、学生時代以来、日記らしきものは、書いていなかった。しかし、日々、感ずることは少なからずあり、何かそんな感情の吐け口がないものかと、それとなく感じていた30代前半の時期に出合ったので、格好のものが見つかったと思った。いつでもどこでも、何に関してでもよく、走り書きで構わないので、気軽に活用することができる。

 一番多くカードを書いた年代は、感受性も高く、働き盛りの30代、40代の頃で、一日に何枚も書いているときも少なくなかった。その日に遭遇した出来事、特に、やりきれない思いをぶつけたようなものも少なくなく、後から振り返ると、うんざりするほど、しつこく、愚痴っぽいものも多い。読み返すと、その内容は、その時々の自分の立場を反映したもので、30代半ばまでの一担当者の時代、40代の部下のできたマネージャーの時代、50代の組織の長として責任を持たされた時代、それぞれの時代の悩みが書き連ねられている。今から思えば、取るに足らない悩みだったかもしれないが、そのときは深刻で、日めくりをすると、そんな障壁を自分なりに、いかにして乗り越えてきたかを、読み取ることもできる。いずれのカードにも、嘘偽りのない本音が綴られているので、文章を書く上でのネタとしてのエキスが詰まっている。年を重ねるにつれ、その量も減ってきたが、平均して一日一枚は書いていると思われるので、少なく見積もっても、書いたカードの総数は10000枚は下らないのではないかと思う。いざ、何かを書こうとするときには、何か手掛かりとなるものはないかと、これらの集積した情報カードを見返し、構想を練ることから始めることにしている。

 原稿を作成する際は、初めからきっちりとした文章を書こうとすると、それだけでプレッシャーになり、発想が委縮し、筆が進まなくなるものである。それを避けるためには、まず、思いついたことを、構わずにパソコンでベタ打ちすることから始める。そのうちに、自分が何を書きたいかが、おぼろげながらわかってくるものだ。ある程度、ベタ打ちしたものが貯まったら、大雑把な全体構成を考える。そうすると、概略の目次も何となく浮かんでくるものである。その目次にそって、単元ごとにベタ打ちしたものをコピーペーストしてファイルしていく。同時に、必要な図表を概略作成する。そして、一旦、プリントアウトし、ベタ打ちしたものをつなげて手書きで文章にしていく。これをワープロで打ち、再度、プリントアウトしチェック・修正を加える。この作業を何回となく繰り返す。この間に、図表を完成させ、文章はそれを説明するように作成する。概ね文章が出来上がったら、区切りのよいところで見出しをつける。全体の内容が概ね決まった段階で、まえがき、あとがきを考える。内容的に一通り整ったら、横書きであったものを縦書きに一挙に変換する。これでイメージが相当異なるものである。次に、読み手を意識して、縦書きの文章に、さらに加筆修正を行う。こういった加筆修正はある意味切りがないが、概略の発行目標月から逆算し、時間切れになるまで推敲(すいこう)を加えていく。最後に、ルビを振ったり、フォントなどを考え、徐々に書籍にする上での体裁を整えていく。文章が概ね出来上がったら、写真、図表を組み入れていく。縦書きの原稿が仕上がったら、通しページをふりコピーをとり、出版社に持ち込む原稿を完成させる。

 文章を作成しチェックする際に用いる筆記具には、現役時代からこだわりがあった。手書き時代は、何しろ、大量の文章を書いていたので、筆圧により指が痛くならないように、4B、5Bの鉛筆を使っていた。チェック・修正も、タッチが柔らかい赤と黒の細いマジックが両端についているペンを使っていた時期もあった。ある時期から、出来上がった原稿を何回も重ねて上書き修正するのに、赤一色では足りず、青、緑なども必要になったので、それ以来、ボールペン四色、シャープペンシルのついた多機能ボールペンを愛用するようになった。これだと、電車に乗りながら、思いついた時に、即座に取り出して書くことができるので便利である。

 退職後、執筆を開始した当初は、出来上がった原稿をどのようにするかはあまり考えていなかったが、書き進めるうちに、執筆した原稿を、机の奥にしまい自分の手元に置いてしまっておくのではなく、誰かに読んでもらうことにより社会との接点ができ、書き残す意味があるということに思い至った。そして、できるだけ多くの第三者に伝える方法としては、ブログなどの電子媒体が考えられるが、途中経過ならそれでもよいかもしれないが、やはり、まとまったものとなると冊子の形にしないとなかなか見てもらえないのではないだろうかと思い、不特定多数の方の眼に触れるということで出版にトライしてみることにした。出版する場合、原稿がそのまま版下として印刷にかけられれば一番世話がないが、どのくらい手間がかかるかは、初稿の出来具合如何にかかっている。誤字脱字の修正、明らかな言い回しの間違いの直し、数字の統一などは出版社でもできるが、内容自体のチェックは基本的に出版社ではできない。著者の自己責任である。出版社は色々比較検討し適切なところを選定したものの、第1作目は、右も左もわからず大変手間取った。しかし、第2作、3作になるに従い、だいぶ慣れてきて要領もよくなっていった。最近は、対面の打ち合わせをしなくても、メールで電子データを添付しやり取りするだけで、校了まで持って行けるようになった。発刊までに要する期間としては、校正は3回はするので、表紙の装丁、帯などを含めて、原稿持ち込みからやはり少なくとも3ヵ月はかかる。

 現在、何冊かの冊子を刊行したのが縁で、エッセイの連載の依頼を受け、今は、日常の多くの時間をその作成に費やしている。これからも、残された時間が限られている以上、チャンスがあれば、遠慮しないで、書くことにより自分を表現してもよいのではないかと思っている。大げさに言えば、生きた証(あかし)として、社会に何らかの影響を与えうるものを残したいものだと考えている。とはいっても、本を仕上げるのには、それなりに労力を要するので、いつまでもできるとは思っていないが、書き残したいことが頭に浮かんだら、知力と体力が続く限りは、書くことを諦めないでいたいと思っている。






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※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】をなぜ作るかの最も根本的な答も、「その会社と経営者、社員が生きた証を残すこと」であると牧歌舎は考えています。