この言葉は、入社5年目、新設部署に配属となったときに、部長から言われた言葉である。当時、新設部署は、予め用意された仕事が皆無だったため、仕事をとることに部員全員が必死で、日々の生活に汲々(きゅうきゅう)としていた。まさに、今日明日の食い扶持(ぶち)を稼ぐために、眼が血走っていたかもしれない。そんなあくせくしている様子を見て、ある時、部長が放った言葉であった。「忙しいのは分かるが、目先のことに追い立てられるのではなく、もっと、先を見据えて、物事に取り組め」という趣旨であったと思う。誰しも、心に余裕がなくなると、うつむき加減になり、不安を紛らわすために、何かにとりつかれたように、周りにお構いなしになって、全体が見えなくなってしまうものである。そんなとき、その一言を聞いて、我に返ったような感覚になったのを憶えている。
以来、何かを始めるときは、意識的に目線を上げるように心掛けている。そうすると、不思議に、今あくせくしていることが、取るに足らないことで、そんなに神経をとがらすようなことではないと思えてきて、気持ちが楽になるものである。知らず知らずのうちに枝葉末節にとらわれていた自分に気づき、今、関わっていることの意味、長スパンで考えた場合の位置づけなどが自ずと見えてくる。よく、鳥の眼というが、何かを計画するときは、マクロの視点から俯瞰(ふかん)すると、事の成り行きの察しがつくようになるので、今、何をしておくべきかがわかり、将来を見越して前もってすべきことの見落としを防ぐこともできる。
現役時代、全社や所属部署の中長期的な計画を立案する機会が何回かあった。そういうときは、まず、取り掛かる前に、目線を上げて社を取り巻く外部環境の変化と社の向かうべき方向について大局観を持って見通し、作業の途中でも、節目節目で一旦筆を休め、再び視線を上げて、改めて「このまま続けてよいか」と問い直すようにしていた。社内の人材育成の研修担当者になったときも、若手社員に本人のキャリアビジョンを策定させる際には、まず、入社後の一皮むけた体験を書かせ、次に、5~10年先を見据え、世の中の動向を想像させ、自分のなっていたい姿、やっていたいことをイメージさせ、しかる後に、その姿と現在の自分の実力とのギャップを如何にして埋めるかを考えさせることにした。
社外においても学協会の中長期ビジョン策定などに関わったが、その際も、差しあたっての懸案事項は、それはそれとして、それにとらわれることなく、今後の世の中の移り変わり、業界を取り巻く環境変化などをより高い視点から予測し、あるべき姿、それを達成するためのシナリオを描くことに努めた。仕事を通じて知り合った社内外の様々な人たちを観察すると、確かに、常に冷静で、先見性がある人は、共通して目線が高いことが確認できた。個人的な計画を立てるときも、視座を高く持つことは大事である。自分の場合も、年末に、翌年の年間計画表を策定する際には、10年先の子供や孫の成長、家族構成など将来の姿をイメージし、わかる範囲で向こう10年間に起こるであろう事象を想定し、当面の翌年のスケジュール表を作成するようにしている。
中国の紀元前1世紀の秦王朝の時代の学者の残した言葉に「深謀遠慮(しんぼうえんりょ)」というものがある。遠い将来のことまで考えて、周到にはかりごとを立てること、遠くを見据えて深く思考し、行動を起こすことを意味する言葉である。物事を始める際は近視眼的にならずに、高い視座から将来を見通すことの重要性を説いたもので、まさに至言(しげん)であると思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】は歴史なので専ら過去を綴るわけですが、未来の読者のほうが今の読者より多くなることを思えば、「俯瞰」の目線の意味と重要さがおのずとわかってくると思います。