どんな集団や組織でも、何か新しいことを始めようとするとき、それを中心になって推進する人を決める必要が出てくる。しかし、誰しも、労力は取られるし、やってみて上手く行かない場合は責任をとらされることもあるので、尻込みするものである。たとえ、新たなことを企画提案した当人であっても、いざ、自分が中心になって実行するとなると、確固たる自信があるケースばかりとは限らないので、不安になり手を上げるのを躊躇(ちゅうちょ)することも往々にしてあるものである。そういうとき、よく登場するのが「隗(かい)より始めよ」という言葉である。この言葉は、中国の戦国時代の故事が由来のようであるが、自分が初めて耳にしたのは、勤めていた会社の社長の訓示からであった。経営トップになると、業容の拡大のため、新規事業を始めたり、新組織を立ち上げたりする必要性に迫られることも多い。その度に、誰にやらせるのかということが問題になるが、社長としては、言い出しっぺである企画提案者にやらせるのが原則と考えていたようである。なぜなら、企画した当人なら、内容がわかるだけでなく、他人が言い出したことをやるのではなく、自分が発案したことなので、途中、いくつかの障害に遭遇したとしても、辛抱が効くと考えていたようであった。
自分の場合も、同じような状況で実行責任者になったことがあった。50代の初めの頃、社の人材育成の基本となるようなビジョンの策定に関する検討委員会の主要メンバーとして、「キャリアビジョン」の原案を策定したことがあった。そして、自分が主体となって練り上げたビジョン案は経営メンバーからなる会議の審議を経て、首尾よく全社の人材育成策として承認される運びとなった。すると、出来上がったビジョンを実行する専門組織が必要ということになり、誰にやらせるかということが、経営会議の中で議題に上がった。そこで、「隗(かい)より始めよ」ということで、自分に白羽の矢が立つことになった。自分としては、それまで技術者としてプロジェクトに関わるのが本業で、たまたま、部下の指導経験を踏まえた人材育成の在り方を管理職者の集まりで披露したところ、賛同を得てビジョン検討委員会のメンバーに加わったに過ぎなかった。人事を司る事務職ではなく、あくまで一技術者で、人材育成に関して専門的に学んだこともなかったので、やれるものかどうか一抹の不安が過(よぎ)った。しかし、乗り掛かった舟ということもあるから、この際と思って、腹を括(くく)って引き受けることにした。やり始めると、予想した通り試行錯誤の連続でもあったが、歩きながら考えているうちに、徐々にビジョンに沿った研修などをこなせるようになっていった。そして、2~3年の間、実績を積むうちに、社の主要な人材育成策として定着させることができ、後進に引き継ぐこともできた。
その後、60代の初めになり、自分が経営者の一人として新規事業や新組織の長を人選する立場になってからも、事あるごとに、この言葉を拠り所の一つとしていた。いつも人選の際には、ポテンシャルが高いから、ラベルが良いからという理由で、それまで全く関係のない人に実行責任者をやらせることには、異を唱えるようにしていた。もしも、そんなやり方が罷(まか)り通ってしまったら、それまで汗をかいた人、企画提案者がやる気をなくしてしまうことになりかねないからである。ただし、企画提案者をそのまま実行責任者にする場合は、独りよがりになっていないか注意が必要であることも分かった。一人で思い詰めて袋小路に入るのは、企画提案者がそのまま実行責任者になった場合の、とかく陥りやすい罠である。周囲から、単に、好きでしがみついているに過ぎないと思われたらおしまいである。やはり、何事も成功するには、外からの協力が必要となることも少なくないので、他者の言うことを素直に聞くことが重要である。そして、実行責任者にやらせっぱなしにするのではなく、実行責任者を暖かくかつ冷静に見守るアドバイサーがいることが、何事も新たに企画したことを成功に導く秘訣であるように思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】には新しい経営施策や経営方針が常に出てきて、その消長が語られることになります。実はそれが社史(経営史)の本筋と言えるものなので、丁寧な記述が必要になります。