何か新しいことを始めるとき、特に、全て白紙からのスタートではなく、既に既存のものがあり、それを否定する形で新たなものを導入するといった変革と呼べるような場合は、どういう姿勢で取り組むべきか一考を要するものである。できるだけ自分のオリジナリティーのあるものにしたいと思うものの、どのようなケースでも、全く新規というのではなく、何らかの形で過去とのつながりがあるので、それを全く無視してよいものかどうか逡巡する。伝統を尊重するあまり、そのほとんどを踏襲(とうしゅう)したのでは代わり映えがせず、新鮮味は感じられないので、他者からさしたる評価は得られないだろうし、自分としても面白みがない。かといって、ガラガラポンのように何もかも丸ごと変えてしまったのでは、賛同が得られるか、他者がついて来るか、場合によっては顰蹙(ひんしゅく)を買うのではないかと心配になる。勤めていた会社の長期ビジョンの策定に委員の一人として関わったとき、同じような悩みに遭遇したことがあった。色々な意見が出て、保守的なメンバーは少し手直しするだけで構わないと主張したが、それでは旧態依然(きゅうたいいぜん)としたままで何も変わらないように感じられた。一方、急進的なメンバーの中には、何もかも変えるべきで、場合によっては企業理念やスローガンまで変えなければ社員の意識改革ができないという意見の人もいた。そんなとき、頭の中を整理する上で心の拠り所となったのが、「不易流行」という言葉であった。
この言葉は、俳人松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の間に体得したといわれる俳諧用語の一つである。「不易」とは変わらないあるいは変えないという意味で、俳句には5・7・5の17音があること、季語があることなど、いくつかの原則があることを表している。一方、「流行」とは変わるあるいは変えるという意味で、17音の中で作者が句材等に工夫を凝らした新しい表現部分に相当する。即ち、上質な俳句を創作する上で不変と変革を峻別(しゅんべつ)することの重要性を説いた言葉である。会社に当てはめれば、常に利益を追求するために時代に合わせて事業内容を変革していくのが、言わば「流行」である。ただし、それだけでは永続性は保証されないので、同時に会社としてのフィロソフィー(哲学)を「不易」としてもたなければならない。それが企業理念である。企業理念が根底にあってこそ、初めて社会に受け入れられる存在といえる。社内においても、企業理念は、社員個人の中に無意識的に内在する共通項のようなもので、それが仕事をする上での活力となり、根っこの部分の求心力として経営を支えている面がある。社員同士の価値観の共有とチームワークの醸成にも役立っている。企業理念という「不易」の部分を継承しつつ、如何に時代に即した事業変革という「流行」の部分を遂行していくか、まさに、「不易を知らざれば基(もとい)立ちがたく、流行を知らざれば風(ふう)新たならず」といった「不易」と「流行」の両方を常に念頭に置いた経営が、会社を永続的に繫栄させるには必要である。
そういう考えのもと、自分としては他のことは変えても良いが企業理念だけは変えるべきではない、死守すべきという立場を貫いた。その結果、現状を打破するために様々な新たな施策が取り入れられたが、企業理念は変えられずに継続することになった。変革を遂行する際には、どのような集団でも、その構成員の共通項として、心や意識を繋ぎとめているものは何かを考える必要がある。そこが揺らいでしまうと、求心力が失なわれ、箍(たが)が外れたように収拾がつかなくなり、バラバラになってしまう。組織、集団としての体を成さなくなってしまう。会社でも、家庭でも、どんな集団でも、構成員の気持ちを繋ぎとめている絆となっているものは何かを掴んでおくことが、変革を進める上で考慮すべき最重要事項の一つであるように思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】において「変化」は見えやすいが「理念」は見えにくいものであったりします。むしろ変化に際して「経営理念」が再認識される。そういう形で理念が継承されるということも考えておくべきことかもしれません。