どんな仕事でも始めるときは緊張する。特に、仕事の内容がやりなれたものではなく、それまでやったことのない分野の仕事となると、上手くいくか心配で、緊張の度合いも大きい。
30代の終わり頃、それまで一度もやったことのない、どちらかと言えば専門外の、プラントの設計という業務に携わったことがあった。取り扱うのは建設残土なので土という意味では専門とするところではあったが、それを改良するプラントという、いわゆる機械ものとなると扱うのは初めてであった。その頃、東京都では工事に伴い発生する残土の処分に困っており、何とか埋め立て材料として再利用できないかということで、建設残土の改良プラントの計画が持ち上がった。建設予定地は東京湾の中央防波堤内の埋め立て地ということで決まっていたが、それ以外の、建設残土の改良方法や、プラントの規模や仕様、残土の搬入から改良土の搬出までの運営方法などに関しては何も決まっておらず、白紙からの出発であった。東京都としても初めての試みであったが、業務を受注したこちらとしても、やったことがない仕事だったので、残土ということで土の専門家、地盤改良ということで化学の専門家、機械ものということで機械や電気の専門家など、多分野の技術者を集め、プロジェクトチームを組んで臨むことにした。
先方の統括責任者は、同年輩の飄々(ひょうひょう)とした人で、初めての打ち合わせの日、緊張しきっている自分たちを見て、開口一番「自然体で行きましょう。大いにエンジョイしましょう」と言ってのけた。こちらとしては、さぞかし発破をかけられると思っていたところだったので、若干、拍子抜けがしたが、その言葉を聞き、気持ちが楽になり、リラックスでき、仕事にも集中できたのを憶えている。その仕事は、調査、設計、施工が終わり、プラントが稼働するまで4~5年はかかったかと思うが、その間は、検討課題も多く、試行錯誤の連続であった。セメントや石灰などの適正な配合率、プラントの不具合、改良土を埋め立て後の浸出水の周辺樹木への影響など新たな課題が持ち上がる度に、その人と幾度となく打ち合わせをしたが、難題に対してこちらがどう解決したらよいか四苦八苦し難しい顔をしていると、打ち合わせの終わりに当たって必ず同じ言葉をかけられたような気がする。
その人とは、その仕事が終わった後も接触する機会が何回かあったが、折に触れ、口癖のように同じ言葉をかけられた。「自然体」と言われると、不思議と「皆同じなんだ」という安心感が湧き、「何も気負う必要もなくありのままの自分で良いのだ」という気持ちになった。「エンジョイ」という言葉を聞くと、「どんな仕事でも楽しんでしまえばいいんだ」という気持ちになれた。その人と出会ってから既に40年余りが経過しているが、何か、困難なことに出くわし、そこから逃げることができずに、何とかやり遂げなければならないときには、「自然体、エンジョイ」という言葉を自分に言い聞かせるようにしている。また、部下や後輩たちが、新たな仕事に立ち向かい緊張しているときは、それを解きほぐすためにも、その言葉をかけるように心掛けてきた。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】の制作は○○周年にちなんで行われることが多いため、通常なら数年かかる作業に1~2年で挑戦するというようなことが少なくありません。しかし、ただ頭と体で最善を尽くすのみ。可能な最善の計画を立てて邁進するだけなのです。それを自然体として、あとはゲームをエンジョイする感覚で重圧をはねのけていくのです。そうして心身の健康を確保することが社史づくりで一番大事なことなのです。