自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > 社史編纂・記念誌制作 > 風間草祐エッセイ集 > 54.心に沁みるあの言葉-その8- 

社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

54.心に沁みるあの言葉-その8- 「何事も準備不足から始まり、時間切れで終わる」(会社上司)


 人の性格によっても違ってくるかもしれないが、慎重な人は、何かを始めようとするときに、まだ準備ができていないからと、躊躇(ちゅうちょ)する傾向がある。その結果、折角のチャンスを逃しかねない。そういうときは、まずは、第一歩だけでも踏み出し、取っ掛りをつけておくことが大事であるように思う。なにもかも準備ができてからというのでは、そのうちに気持ちが失せてしまい、永久に実現できなくなってしまう恐れがある。「何事も準備不足から始まる」という言葉は、現役時代、直属の上司が口癖のように言っていた。初めて、技術の専門資格に挑戦したときも、突然その直属の上司から受けろと言われ、仕事が忙しいからと断ろうとすると、「準備万端ということは、そうそうあるものではない」と言われ、全く自信がなかったが、ぶっつけ本番に近い状態でさしたる準備もしないで臨んだ。その結果、運良く合格することができた。以来、よく何かにチャレンジするとき、「準備が間に合わない」という言葉をやりたくない口実に使う人に対して、この言葉を添えるようにしている。

 「何事も時間切れで終わる」という言葉も、同じ上司から聞かされたものである。その上司とはよく論文書きを一緒にやったが、自分が原案を作成し、その上司がチェックし、自分が修正するというやり方を際限なく繰り返した。やる度に良くなることは確かなのだが、締め切りがなければ永久に手直しすることになるのではないかと不安になった。そんなとき、上司のその言葉を聞き、できるだけがんばればよいのだと気が楽になった。そんな経験から、何事も時間がないからと早々にやめてしまうよりは、時間ぎりぎりまで食い下がるのが望ましい姿勢と思うようになった。人は、もう時間がないからと、より完璧でより上質な成果を求めることをせず、適当なレベルで端折ろうとする気持ちになりがちである。その方が楽だから最後まで探求するのをやめ、早わかりしようとする傾向がある。そんな気持ちになったとき、この言葉を思い出すと、タイムリミットまでもうひと踏ん張りしてみようかという気持ちが湧いてくるものである。肝心なのは、何をやるにしても、たとえ制限時間が来て終了しなくてはならない事態に陥っても、安易に妥協するのではなく、疑問は疑問として、一旦、横に置いておき、それは未解決のままであることを、頭の片隅で分かっていることであるような気がする。限られた制約条件の中ではなるようにしかならないということも承知の上で、いつかチャンスが到来したら解決してやろうという気持ちを保持することが大事なように思う。

 「何事も準備不足から始まり時間切れで終わる」という言葉は、試験を例にとると理解しやすい。どんな試験でも、なかなか100%準備できたということは少なく、また、何回も見直したくても時間が来ればペンを置かなければならない。だからといって、準備を怠り、制限時間まで頑張らないのでは合格もおぼつかないものとなる。また、この言葉は、試験や仕事以外の、普段の生活においても充分通用する。冠婚葬祭などの場合、事前に進行や段取りなどの企画を練りに練ったとしても、なかなか100%満足できるものには仕上がらないものだし、本番のときも100%予想した通りにはいかないものである。しかし、これまでの経験から言って、何事も充分準備が整っていないのにいきなり始まるのが世の常であり、それに対して時間が制約されている中で、歩きながら考え修正して良かれと思う方向に仕上げていくというのが現実の姿であり、大局的にみて、それでも目的は十分達成されているケースが多いのではないかというのが実感である。


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。※【社史】づくりもとにかく時間との闘い。「準備が全て」と分かっていても、「余裕をもって終われた」というケースは極めてまれです。ここでのお話はあくまでも100パーセントに達しなくても一応満足できる形で終われるという努力レベルの人のお話であって、なんでも格好が付けばよいということでないことは肝に銘じておきましょう。