自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > 社史編纂・記念誌制作 > 風間草祐エッセイ集 > 58.心に沁みるあの言葉-その12- 

社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

58.心に沁みるあの言葉-その12- 「僧にあらず俗にあらず」(親鸞)


 若い頃は、理想を追い求めるあまり、それと違う事象に出くわすと、悩み思考停止に陥り、それ以上一歩も前に進めなくなってしまうことがある。理想を追うのもよいが、時間が有限である以上、妥協することも大切であることがなかなかわからないからである。とかく、本筋でないどうでもよいことに拘(こだわ)っている場合もあり、気を取り直し冷静になって考えれば、自分として納得がいくことも往々にしてあるものである。

 大学4年生のとき、土木系の会社に就職も決まり、後は卒論を仕上げるだけだった頃、公害など環境汚染が社会問題視されていたこともあり、「技術は本当に人間を幸せにするのか、技術者として生きることが社会正義にかなったことなのか」といった技術に関する基本的な疑問が解けないまま燻(くすぶ)っていた時期があった。一つの企業に属することにより、徐々に、学生時代に良しとした理想とかけ離れ、現実と妥協しながら、世俗的になっていく自分を考えると、「それでも良い、それも許される」という心の拠り所となる何か、大げさに言えばイデオロギーを超えた何かが欲しいという気持ちにかられていた。

 そんなとき出会ったのが、親鸞であった。「僧にあらず俗にあらず。すなわち、俗とまじわり俗を知り尽くしても、俗にしばられるようなことになってはならない」という「愚(ぐ)禿(とく)」と称する立場を貫く親鸞に感銘し、僧でありながら妻帯し、世俗とまじわりながらも理想を捨てることなく生きた姿に共感を覚えた。親鸞の残したこの言葉の意味するところを、「世俗的生き方をしていても決して理想は捨てない生き方」という風に勝手に解釈して、「技術者としてあるいは企業人として社会に組み込まれていくかにみえても、決して自分の理想は捨てずに堅持するんだ」と自分で自分を励ましていたように思う。当時の心境として、社会の矛盾を知りながら、理想を貫くのではなく生きていくために妥協し、社会に組み込まれ、世俗的になることに対するある種の後ろめたさを感じ、その免罪符的なものを求めていたのかもしれない。

 社会人になり色々な経験をするうちに、自分が描いた理想的な筋書き通りには事が運ばないケースが多いことに、否応なく気がつくようになった。特に、相手がいて対立している場合などは、互いに、相手を突っぱねたままで、ただ時間だけが過ぎていくという場合も間々あるものである。終いには、意地と意地の張り合いになっていることも無きにしも非ずである。

 「政治は妥協の産物である」と言ったのは政治家ビスマルクであるが、現実社会で物事を決めていく際には、相手がいるわけだから、どこかで折り合いをつけなければ先へ進めない。したがって、まず、相手の言い分をよく聞くと同時に、妥協点を見出すことが必要になってくる。そのためには、予(あらかじ)め、譲れるところと譲れないところを明確に意識しておくことが必要となる。付和雷同では困るが、時と場合によって、「君子、豹変(ひょうへん)す」ことも必要である。理想は理想として、その一方で、大所高所に立って客観的に現実を見て判断することが問題解決の道といえるように思う。





風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※企業の「社史」は個人の「自分史」であり、会社も個人も、大前提はその「存在」であり、「存続」です。理想に反するものは存在も存続もすべきでないとなれば、人類も存在してはならないという考え方もあり得てしまいます。万物は存在しているだけで存続しようとしているわけですから、理想に反しないように、つまりは理想を認めそれを実現することが大前提にすでになっているわけです。これを過つことがあれば是正して理想に向かう方向にすでに置かれているのです。「妥協」の中にもそれはすでにあることを知っていて、絶望しないことが大切なことなのです。】