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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

59.心に沁みるあの言葉-その13- 「詩人は絶壁に立っているようなもので景色は美しいが、一歩間違うと奈落(ならく)の底に突き落とされる」(伊藤桂一)


 人というのは、少し褒められただけで自信過剰になり、自分はその道で一角の人間であるかのような錯覚に陥りやすいものである。自分にも鼻っ柱をへし折られるほどではないが、長いサラリーマン生活の中で、同じような経験をしたことが幾度かあった。

 30代の半ば過ぎに大病を患(わずら)ったが、回復は薄紙を剥(は)ぐように時間がかかるということで、出社後半年余りは満員電車を避け定時より少し早い17時に帰宅させてもらっていた。周囲も、病み上がりということで色々気遣ってくれ、健康のためにとゴルフも勧められた。自分としては、折角(せっかく)の機会だから、仕事人間を離れてこれまで縁のなかった新しいことにも手を出してみようという気になっていた。

 四ツ谷の外濠通りに、「小説作法」を教えるカルチャーセンターがあった。別に、物書きで飯を食っていこうと本気で思っていたわけではなかったが、文学と称するものは書いたことがなかったものの技術的な論文はそれなりに書いてきていささか自信もあったので、自分の文章力が如何ほどのものか、試してみたい衝動にかられ、そのセンターの門をたたいた。土曜の夕方の2時間程度であったが、指南役であった純文学者の伊藤桂一を始め数人の現役作家の手ほどきを受けた。結局、そのカルチャーセンターには2年間通い、その間に数編短編小説を書いてみたが、やはり、文章力はともかく、自分のような身を切るような思いをしていない平々凡々なネタでは、いくら飾ってみてもなかなか面白みのあるものには仕上がらないことがわかった。指南役からは「詩人は絶壁に立っているようなもので景色は美しいが、一歩間違うと奈落の底に突き落とされる」という言葉を聞かされ、とてもそんな神経をすり減らすようなことには自分は耐えられないだろうと思い、気持ちが続かず、途中で立ち切れとなってしまった。

 同時期に、新宿にあった江川ひろしの「話し方教室」にも顔を出してみた。話術に関しては、顧客対応や論文発表の場でそれなりに評価を得ていたし、滑(かつ)舌(ぜつ)をもう少し良くすれば、もっと、磨きがかかるのではないかという浅はかな考えからであった。毎回、10数名が集まり、テーマを与えられて順番にスピーチし、その後互いに批評しあい、講師からも指導を受けた。半年ぐらい通ったが、自分が上出来と思っても、受けを狙ったような気負いがあるのを見透かされてしまい、鼻につく高慢(こうまん)さに気づかされることもままあった。年齢、性別、職業などバックグラウンドの異なる聞き手の前では、いつも掛け値なしの真剣勝負でないと、相手の心に響かないものだということがわかり、「話し方」というよりも「生き方」を考えさせられた体験であった。

 結局、病気から復帰後、書く力、話す力を試すように、小説作法や話し方教室に顔を出してみたが、とても、二足の草鞋(わらじ)を履くような実力にはほど遠く、やはり、今の仕事で地道に生きていくのが順当であると改めて気づかされた。人は、身のほど知らずというか、自分の適性や能力に関して、分かっているようで、案外、分かっていないもので、とかく、自分の力量を過信しがちである。その一方で、隣の芝生はあくまで青く、美しく見えるものなので、いざ飛び込んだ場合の障壁やリスクを過小評価する傾向があるのも事実である。もし、それでも、待ち構える困難に屈せず前に進むとしたら、良いことばかりではなく、それと引き換えに悪い面もあることを、十二分に承知しておく必要がある。それと、近い将来、遭遇するであろうリスクに対する覚悟と、困難に立ち向かう忍耐力を、自分が持ち合わせているかどうかを、自己分析しておくことも重要であろう。





風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】