父は、持って生まれた性格なのか、はたまた体験から備わったものなのかはわからないが非常に憶病で気が小さかった方だと思う。いわゆる慎重派で、大胆なことはできないし、冒険は好きではなく、何でもどちらかの方向に進まなければならないときは、安全な方を選択する傾向があった。父は、駒込の下町で育ったが、成人になるまでに、関東大震災、東京大空襲など、あわせて3度火災にあったと話していた。子供のころから本が好きで、それなりに蔵書もあったようだが、火災の度にそれらが焼失した経験から、「世の中、何時何が起こるかわからない、しかし、たとえ身の周りの物すべてを失っても命さえあれば何とかなる」ということを教訓として学び取ったようであった。そんな経験から、この言葉は、父にとって、生きる上での生活の知恵みたいものとして身に付いたのかもしれない。
父は、教師として仕事をする中で、たとえば、運動会を開催するかどうかや、遠足や夏休みの林間学校などを催すにあたっても、この言葉を念頭に据えて、常に最悪の事態に備えていたのではないかと思う。自分は、小学校6年から父の勧めもありボーイスカウトに入ったが、ボーイスカウトの標語に「備えよ常に(be prepared)」というものがあり、きっと、父はこの言葉が気に入って子供をボーイスカウトにいれたのではないかと今にして思う。
何かをやろうとするとき、やったことが吉と出るか凶と出るかは、やってみないとわからないものである。そんなとき、たとえ凶と出ても、それに対応できるように心の準備をしておけば、驚かないで済み、冷静さを保つことができるものである。いざというときの具体的な動き方を想定(シミュレーション)しておけば慌てないでいられる。最悪のシナリオを考えておけば、多少の不都合、不具合が起きても「大したことはない」と受け流すことができる。「最悪の事態に比べれば、まだ、ましだ」と思うことにより、心の平静を保ち平然としていられる。最悪の事態に備えるということは、今で言う、リスク管理、危機管理に相当するものであろう。
就職し仕事に就くと、何か新しいことを決めたり、進むべき方向性を決めたりすることは往々にしてある。あるいは、当初想定していなかったトラブルが生じ、その収拾にあたらなければならないこともある。そんなときは、3つぐらいのシナリオを考えるわけであるが、その中には必ず不確定要素が含まれているので、悪い方に転んだ場合のBad Caseを考えておくことが大事である。仕事を進める中で、いかに日常の品質管理を十分に行っていても、時として不測の事態が生じるのが常である。そういうときは、最小限確保しておきたい事項を決め、それを死守するにはどうしたらよいかを考えるのが肝心である。現役時代、事業開発担当として、新規事業を許可すべきかどうかの判断を迫られることが何度かあった。そんなときは、その事業の成否を左右する要因を拾い出し、その要因が変化した場合の3つぐらいのシナリオを想定するようにしていた。たとえば、大きな変化は生じず成り行きのまま推移するケース、積極的に投資を行ったケース、外部環境が著しく変化したケースなどである。シミュレーションの結果、最悪、金銭的にどの程度の損失を被るかなどを想定するわけであるが、それらの物理的損失以外に、信用など社会的損失を被る可能性もあることを念頭に置いておく必要がある
仕事を離れた家庭生活においても、住まいを選んだり、子供を育てたりする過程で、問題や課題が生じ、岐路に立たされ、進むべき方向性を判断しなければならないことも少なくない。たとえば、子供の受験に際して最悪どこも受からず行くところがない、結婚するはずが上手くいかず破談になる、思わぬ病気が見つかり悪性で治る見込みがない場合などである。そんな事態に遭遇した場合、誰しも最悪の事態は望まないわけであるが、なかなか思うようにならず困り果てることはよくあることである。そういうときは、事あるごとに父の口にしていたこの言葉を思い起こし、心を落ち着かせ、事の次第を論理的に分析し、解決策や身の処し方を、順を追って冷静に考えるように心掛けている。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」を長年作ってきている中で、会社の基本姿勢が変化していると感じることがあります。今回のエッセイのように、会社というものはまず存続が大優先課題であり、どのような窮地に立っても対応する周到な対応策を用意していくことが経営者の仕事でした。しかし最近は、まず起業して、起こって來る課題にはいろいろ対応してみるが、上手くいかないようならさっさとやめて次の起業をするというドライな考え方で会社が生まれているケースが増えました。「社史」の本質が変わりつつあるようにも見えますが、それは結局、錯覚にすぎません。「周到に備える」のが経営であり、そして社史はその「経営史」なのです。「存続なくしてして社史なし」です。】