公開日 2025年6月17日
誰しも、仕事上あるいは私生活において様々な人と接する中で、相手が発した思わぬ言葉に、耳を疑った経験はあるのではないだろうか。しかも、当の本人が何を言ったのか自覚していないような場合はなおさらである。まるで、人格が変貌したのではないかと思いたくもなる。相手の言っていることを信じて良いのか、相手とどう対処したらよいのか困惑する。そんな状況において、相手の本音を見抜き、相手の人格に関する理解を助けてくれる言葉がある。
これは、精神分析学の祖といわれるフロイトの言葉である。フロイトは、人の心には、普段私たちが言語を使って話している意識的な世界と、その奥に無意識の世界があり、それが人の行動を深い所で左右していると述べている。フロイトは、人間には無意識の世界が歴然とあることを「裁判官が開会を宣言するところを閉会と言ってしまうのは単なる失言や不注意ではない。開会したくないという抑圧された願望が形を変えて表れたものである」と、例を引いて説明している。
大学生の頃、アルバイト先や住んでいたアパートの隣人など、身近に何人か精神的に追い詰められ豹変する人を見ていたので、精神分析や心理学に否応なく興味を持つようになっていたが、フロイトの『精神分析学入門』『夢判断』などの著作に触れ、人の奥底には、無意識の世界があることを知った。以来、卒業し就職してからも、人と話をする際には、言葉面(づら)を捉えるだけでなく、その背後にあるその人の深層心理ともいえる気持ちに目を向ける癖が付いたような気がする。ただし、自らの反省も込めて言うと、人付き合いにおいて、相手の本当の気持ちをおもんばかることは必要なことではあるが、それが過ぎて、深読みし過ぎると、誤解を招き人間関係が上手くいかなくなる場合も往々にしてあるので、注意が必要である。
人は、案外、自分の本音がどこにあるかを自分ではわからないものである。無意識の領域にあるものは、自分では自覚できないからである。フロイトによれば、無意識の世界のことは、唯一、夢の中に現れるので、それを手掛かりに、本音を探ることができるというわけであるが、心理学のプロではないので、診断や治療に類することはできない。ただし、相手が何を考えているか何をしたいか自分ではわからずに悩んでいるときなどは、本人に問いかけることにより、自分が何をしたいか何を欲しているか、その気づきを与えることはできるような気がする。自覚することができれば、霧が晴れたように、頭がすっきりし、悩みが薄らぎ、良かれと思う次の行動を起こすことも可能となる。
よく「酒の上の話」という言葉を聞く。これは、酒で酔ったために、箍(たが)が外れ、感情が高ぶり、普段、抑制していたことが、つい口に出てしまうことをいうが、そういうと、不注意で出てしまったように聞こえるが、実は、意識的か無意識的かは別にして、素面(しらふ)ではとても言えない本音を、「酒の上の話」として伝えているという側面もあるものである。注意すべきは、腹の中にないものは出ようがないわけなので、話し相手が「冗談だよ」と前置きしたり、「これは、失言でした」と後で付け加えたりしても、少なくとも、半分は本音が入っているということは心得ておくべきことのように思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」の企画記事の定番メニューとして、退職者の方々に集まっていただいての「昔を語る座談会」があります。主催する会社側は「先輩がたにせっかく久しぶりに来ていただくのだから」と酒食でもてなそうとする場合がありますが、それはあとの二次会としていただいて、座談会収録の間はお酒は無しにしていただかなければなりません。お酒が入れば、面白い逸話も出てきたりするのですが、誌面に載せると傷つく人がいたり、一見問題無いように思われても大問題になって社史の作り直しなったりする惧れもあるからです。このエッセイのように、抑制が外れて深層心理から出る不適切発言が永久保存の『○○年史』に載ることを防ぐのは編集者の責任です。その意味でも、座談会原稿は参加者全員に見ていただいてチェックをしていただく必要があります。心しておきましょう。】