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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

65.心に沁みるあの言葉-その19- 「何時が分かって、初めて予見できるといえる」(会社同僚)

公開日 2025年7月27日


 建設関連の典型的な仕事は、社会に役立つ建造物を計画し構築することである。その過程で、必要な調査、設計、施工を行うわけであるが、もしも、そこに安全上のミスがあれば、責任を問われることになる。地盤に問題がなく人工構造物を構築するだけの場合は、どの程度の安全性があるかは比較的わかりやすいが、中でも大自然が関わってくる仕事となると、安全性を予測するのはなかなか難しい。特に、小さい判断ミスでも災害になりかねないとなると、事前に精度よく安全性を予測できるかどうかが大きな課題となる。

 40代の初めの頃、施工後の現場近くで斜面崩壊により人が被害を受ける事故が発生し、工事の調査設計を担当した当事者の一人として対応しなくてはならくなったことがあった。夏の盛り、奥多摩を管轄する東京都庁の建設事務所から至急来てほしいと電話があった。出向いて見ると、連日の台風による大雨で奥多摩湖に隣接した民宿が斜面崩壊により丸ごと湖底に沈み、泊り客の女子学生と宿の年寄りが行方不明という状況だった。そして家主が「家の裏からあんなに大量の地下水が噴き出すのは生れて初めてで、それは新設した落石防護工(担当部署設計)が地下水位を堰上(せきあ)げたからで、それが崩壊を招いた」と主張しているということだった。数日経って所轄の警察から直接呼び出しがあり、覆面パトカーの後部座席に押し込まれ現地に向かった。道すがら、同行した警察官が「技術のことは全部おたくらに任せたと役所の担当者が言っているよ」と顔色を伺うように覗(のぞ)きこんで言った。事故現場は、崩壊したすべり面がくっきり露出したままで、湖面では筏(いかだ)を浮かべ宿の主人自らが長い竹竿で水中をつつきながら遺体を捜しているという、事故の生々しさがまだ残っている状態で、あたり一面に緊迫した雰囲気が漂っていた。

 警察による事情聴取は、一匹狼のボーリングの技工や、報告書の筆跡を頼りに特定できた下請けの設計者まで、しらみつぶしに行われた。取り調べは、当初、別々に呼び出され何回も執拗に行われたが、そのうち、当時の担当でないとらちが明かないということで自分はお役御免になり、前任の課長が顔つきが変わるほど絞られることになった。当社としては、独断で落石防護工を選定したわけではないこと、事故発生時の70年確率の大雨ならば、34年前奥多摩湖が人工湖として建設されるまで斜面の中腹に位置していた被災場所が、落石防護工がなくても崩壊することは充分ありうることなどを主張した。何回かそのようなやりとりが行われたが、結局、第三者による事故調査委員会が組織され、裁判に持ち込まれることになった。自分は、現在の担当課長として何とか対応しなければならない立場に立たされることになった。崩壊が予見できたとなると、瑕疵問題に発展し、業務上過失致死になりかねない事案であった。ほとほと困り果て、自分だけでは判断しかねるので、藁をもすがる思いで、同年輩の斜面崩壊の専門技術者に相談してみることにした。

 すると、その人は落ち着いた口調で一言「大丈夫だよ」と言ってくれた。その人の見解は「予見というのは、いわゆる5W1H(when(何時) where(どこで) who(誰が) what(何を) why(なぜ) how(どのように)が全て予測できて初めていえることで、斜面崩壊の場合は、どの場所、何が原因で、どのようなメカニズムで発生するかは予測できても、何時(when)起こるかは永久に予測できないので、予見できたとは言えない」というものだった。「なるほど、考えてみれば、原因や起こりうる現象は説明できても、自然現象なのでそれが何時起こるかということは予測しえない。神のみぞ知るといったところだ」そう思うと、気持ちが楽になった。

 その後、裁判において第三者委員会から同様の見解が陳述され、やはり予見は難しいという理由から刑事は免れ民事で都が全面的に補償することで決着がつき、会社の瑕疵(かし)問題には発展しなかった。それがわかったとき、同僚の一言に救われたような気持ちになり胸を撫でおろしたのを憶えている。





風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」には、時として、事故や災害その他の問題で会社が裁判に関わる事項が出てくることがあります。こうした出来事について、社史制作者としては虚偽や隠ぺいは許されないこととして、あくまで事実を重んじる態度を貫かねばなりません。もし会社に非があるのであればきちんと認めて反省し、逆に会社としての言い分があれば堂々と主張するのが正解です。安全問題や公害問題、時には経済事犯や政治事犯もあり得るのですが、要は事実と向き合って公正な記述を行なうことです。社史の価値はじつはそういうところで生まれるのです。】