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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

66.心に沁みるあの言葉-その20- 「知ること、感じること、信じること」(加藤周一)



 何か新しいことを始めようと思ったとき、当たり前であるが、その時点でそれが成功するかどうかは分からない。持っている知識と経験を総動員して理詰めで先行きを予測しても、100%成功するという確証は得られないものである。すべからく、物事を決断するとき、知識だけでは一歩も踏む出すことはできない、かといって、感情に任せたのでは、五里霧中で歩を進めるようなもので、とても成功するとは思えない。そうなると、やはり、100%合点がいったわけではない状態で、一歩踏み出し実際の行動に移すには、知識や感情だけでなく信じるという行為を必要とする。何事も踏ん切りをつけるステージには、いくら知識があっても到達できないものである。ある種、飛ぶ行為のようなもので、一旦、完全に地に足がついていない状態になり、次に着地するまで運を天に任せるといった瞬間が出てくる。だから、何かをやってみようと思うとき、何か拠り所となるものを信じるというプロセスがないと前に進めないということになる。信じる対象は、自分に言葉をかけてくれた身近の実在する人物である場合が多い。親、先生、友人、上司などである場合が多いが、面識のない尊敬する人であったりすることもある。信じるに至るには、経験からいって、それに先立ち好意を抱くということがあるように思う。そういう感情が変化して信頼に繋がるケースが多いように思う。

 サラリーマン生活を開始して10年ほど経つ頃から、自他ともに一人前といえるようになり、色々なプロジェクトを任されたり、自ら率先して新たな施策を推進したりしなければならないような立場になった。そうなると、先行きが不確実なことにも挑戦しなくてはならない場面も多くなり、何を信じて前に進めば良いのかが分からず思いあぐねている時期があった。その頃出合ったのが加藤周一の『科学と文学』という小文であった。それを読み進めるうちに、「知ること、感じること、信じること」の相違、それらの間にはどういう関係があるのかがわかり、目から鱗(うろこ)が取れた気がして、頭がすっきりしたのを憶えている。

 加藤は評論家・作家であるとともに医者でもあり、古今東西の広範な思想に精通していると同時に、科学的な見識も持ち合わせており、「知ること(知識)」、「感じること(感情)」、「信じること(信念)」は、それぞれ科学、文学、宗教と対応するとしている。科学は観察対象を選びその一面に着目しそれを単純化する。その方が事実関係を見極めやすいためである。実験や解析的手法を用いて論理的な推論を重ね普遍的な法則を見つけ出し、それを数式で表現することにより再現性を担保する。従って、特定の条件が整えば何が起こるかの予測が可能となる。このようにして科学は技術を通じて環境を変える力を持つことになるが、現実社会は複雑で対象の一面だけを見ても全体像は捉えたことにならない。また、環境を変える方法論は分かっていても、何のためにという目的論に関しては、科学は答えを持ち合わせていない。一方、人間は感情の動物といわれるように、理性より先に生理的に視覚や聴覚などの五感が対象を捉え、その感覚が主観的な感情に発展し行動を支配するものである。故に、どんな課題や問題についてもその解決の糸口を見つけるためには、もっと人間の持つ複雑性、個別性を重要視し、個人の心の中に焦点をあてた、言わば、文学的アプローチが必要となる。暑い部屋にいる場合を想定すると、服を脱ぐあるいは窓を開けるなどの科学的アプローチにより環境は改善されるものの、どこまで行っても満足が得られないのに対して、静座し黙考するだけの文学的アプローチでも案外暑さが凌(しの)げるだけでなく、清涼な気分と心の平静さは得られるものである。ただし、残念ながら文学は環境を変える力にはならない。実は信じることの出発点は感じることにある。感じるという行為は主観的で個人的なものであるが、主語の私(単数)が私達(複数)に移行することにより、信じるに変貌する。主観的なものを客観的なものに組み替え、自らの体験や考えを普遍的なものに変えていこうとする過程で、その人の世界観や信条、つまり哲学が形成される。信念に基づく行動は、科学のように行きつく先が予測でき保証されたものではないが、それを承知で突き進む行為である。しかし、信念はつまるところ、相手の感性に最も強く働きかけるので、対象の複雑さ故に科学が眼を瞑(つむ)る事柄に対しても、勇気ある行動を促す強い推進力になり得る。

 このような加藤の解釈を聞き、自分の仕事上の体験に照らして納得いくことも多かった。それ以降も、様々な事象に遭遇する度に、知性で理解し、感性で抱いた感情を踏まえ、信念を持ってどう行動するべきかという場面で、頭の中を整理するのに大変役にたった。これまでの仕事上だけでなく私生活における様々な経験を思い返しても、不確実性の多い世の中において、信じることの重要性を改めて感じている。





風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】