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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

68.心に沁みるあの言葉-その22- 「ベーシックトラスト」(エリクソン)

更新日 2025年10月22日


 社内において部下や後輩たちと接するとき、その本音がどこにあるのか、皆目見当がつかないことがある。特に、斜に構えたような、有り体(てい)に言えば、素直でない人の場合は、発している言葉をそのまま受け取ると、その人の本音を見誤る危険性も出てくる。そういう人が直属の部下であると、どう教育したらよいか逡巡することになる。そういうとき、人を見る上で参考になる「人材要件の三層」という考え方がある。

 この言葉を知ったのは、経営学者の高橋俊介のヒューマンキャピタル(人的資本)に関する論文であった。高橋は、人材要件は三層構造になっているとしている。まず、一番上層の第三層は経験や学習によって蓄積されていく特定分野の具体的な能力知識やノウハウであり、その気さえあれば何歳になっても努力次第で身に付けることができるものである。第二層は、思考特性や行動特性に関わる部分である。たとえば、発想がリスクテイキングで、新しいことに飛びついて楽しむタイプか、反対にリスクを取らず保守的で決められたことを決められたとおりに行うタイプかということである。この特性は子供時代から積み重ねられ30~35歳以降は抜本的に変えるのが難しいといわれている。

 そして、その人の本質を知る上で最も重要なのが、最下層の基盤ともいえる第一層で、ベーシックトラストと呼ばれている部分であり、もともとこの概念を初めて唱えたのは、著名な精神・心理学者、エリクソンであると言われている。ベーシックトラストとは、自分が相手に対してこれだけのことをすれば、相手も必ず自分に対してこれだけのことをしてくれると信じる感情である。乳幼児期の母親の育て方によって大きく影響を受け、成人してからは非常に変わりにくいといわれている。ベーシックトラストがしっかり形成されていないと、基本的に相手に対する信頼感が抱けないし、相手を信用せず、自分も本音を絶対明かさないことになる。愛情や好意も、その対価が明確でない限り、相手に示す必要はないと考える傾向があるようである。

 仕事というものは先行きが分からないケースが少なくない。理屈ではいつまでたっても解決できないような場合でも、前に進まなければ埒(らち)が明かないことは無きにしも非ずである。そういう誰もやりたがらないリスクがある仕事に遭遇したときに、けして無謀というわけではないが、前向きに考え可能性を信じて思い切って飛び込めるか、否が応でも対峙しなければならない初対面の人に自ら胸襟を開くことができるかどうかは、ベーシックトラストがあるかないかにかかっているように感じる。いくら学歴が立派で、専門性に優れていたとしても、ベーシックトラストが獲得されていないと、社内だけでなく、顧客との間に深い信頼関係を築くことは難しいものである。会社組織は何をやるにしてもチームワークを必要とするので、人間同士の信頼関係が築かれていないと上手くいかない。そして、信頼関係を築く上で最も必要な人間としての要素は、ベーシックトラストであると思う。

 現役時代、40代の初めに課長になった頃から、新入社員の面接に関わるようになった。初めは、担当部署の長としての一次面接のみであったが、年を重ねるにつれ、部、部門、全社の面接官として二次、三次面接に当たるようになった。その際は、既に、専門性などに関しては前段階の面接で確認されていたので、人間として、社の仲間に迎え入れて良い人材かどうかということ、具体的には、ベーシックトラストを獲得しているかどうかということに注力することにしていた。ベーシックトラストは幼児体験に依存しており、大人になるまでの育った環境で決定づけられている場合が多く、入社してからの社内教育で培うことは極めて難しいといわれていたので、それを備えているかどうかだけは、生い立ちや質疑応答するときの態度や会話の中から見抜くように心掛けていた。



風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、このエッセイで紹介されている「ベーシックトラスト」は、社史を作る側がぜひとも持つべき資質である。この資質は、ここでも語られているように「幼児体験」に依存する面が大きいのだけれど、できれば自己育成したいものであって、それは不可能ではないと牧歌舎としては考えたい。その方法としては、「人間はみんな弱者である」と考えることによって実現できる可能性がある。その会社の経営者も従業員も、人は皆、何かによって、運命として「生きることを強いられている弱者」であると考える。もちろん、社史を作る側にある者も生まれながらにして弱者である。弱者が弱者に寄り添って、その歩みを書き記し、表現する。「運命」という強者に支配されている弱者同士として「ベーシックトラスト」は生まれうる。このことが、「良い社史」の実現につながると期待されるのである。】