更新日 2025年10月22日
会社に入社してから2年目に、回り持ちで組合の支部執行委員長を務めたことがあった。勤めていた会社の組合は、従来、いわゆる御用組合で、春闘といってもストをやるわけではなく、労使協議会も和気藹々(あいあい)で、経営トップに自らをアピールするために、組合幹部に立候補する人もいたようだった。しかし、自分が関わったときの執行部は、賃上げ、労働環境改善などのスローガンのもと、会社と真っ向から対立した。初めは団交などを繰り返していたが、そのうち、話し合いだけでは決着がつかず、街頭デモやストライキを決行することになった。そうなると、組合内部の足並みをそろえるのが一苦労で、活動方針を巡って喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が巻き起こった。そういうときに、横柄な態度で声高に先導的な意見を言う人や、皆を屈服させるような巧妙な論調で理屈をこねる人などがいたが、そういう人が、必ずしもデモやストの先頭に立つとは限らず、いざ決行する段になると、何だかんだ理由をつけて、雲隠れするという事態が散見された。そのような状況を傍(はた)で見ていた同僚の一人が「結局、行動が結論だから」とポツンと呟(つぶや)いたのを今でも憶えている。
仕事をしていると、自分の存在感だけを示すために、何にでも一言口を挟んだり、批判のための無責任発言を繰り返したり、大原則を言わずに小原則を誇張して言い議論をわざと混乱させたりするといった自己顕示欲の強い人をたまに見かける。その一方で、逆に、無駄なことは一切言わず、必要最小限のことしか口にしない人もいる。そういう控えめな人に対して、多弁な人が、よく消極的だと責めることがあるが、とんだお門(かど)違いである。黙して多くを語らないのは、けして何も考えていなかったり、当事者意識がなかったり、責任感が無かったりしているからではなく、優しさから、相手の立場を慮(おもんばか)ったり、混乱を招くのを避けるためである場合が多いものである。
しかし、そんなことはお構いなしに、組織内で論争になり、右か左か結論を出さなければならないときなどは、口が達者で、よくしゃべる人が議論に負けまいと「ああ言えば、こう言う」とばかりに、次々と、言い訳がましいことを巧みに繰り出し、口数の少ない相手が言い負かされてしまうこともままある。そういう人の本心がどこにあるかを判断するときは、「行動が結論」というのが原則であることを思い起こすべきである。あれこれ言ったとしても、その人が、左右どちらの行動をとるかが、その人の本音、結論と見て間違いない。世の中に、次々と言葉を繰り出す講釈師は多いと思うが、耳を澄ませて聞くと、結局、何を言いたいのかわからないことも多いので、言っていることに惑わされることなく、その人の行動自体を凝視することが大事であるように思う。
翻(ひるがえ)って、自分のこれまでの言動を振り返ると、反省しきりという面は否めないが、これからは、できうる限り、意見を求められたら、言った以上それに伴う責任ある行動をすることを覚悟の上で、自らの意見を述べることを心掛けたいと思う。何といっても、古今東西、人の信用を得るには、「言行一致」(integrity)が基本であることは間違いないのだから。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】