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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

71.心に沁みるあの言葉-その25- 「立場でものを言う」(会社上司)

更新日 2025年10月22日


 誰しも、人に叱られるのは嫌である。そうなると、叱る方も、注意したり、警告したり、言い含めなければならないことがあっても、躊躇(ちゅうちょ)することになりがちである。課長、部長など管理職になると、そういう場面に遭遇することはよくある。

 課長になり始めた頃だったと記憶しているが、会社の事務系の上司だったので直接仕えたことはなかったが、国内部門の利益の責任を直接負っていた立場の人がいた。現業を取り締まる立場なので、原価管理に厳しく、はっきりいって現業からは嫌われていた。その人は、海外部門にいたときに、金銭面でルーズであったのを建て直したというので実績を買われていた。国内部門に移ってからも、無駄を省き、下請け業者の管理を徹底するなど、所定の利益を得るために大鉈(なた)を振るったので、時の経営トップから可愛がられ、最後は常務まで上り詰めた。事務系の有名一流大学卒が多い中で高卒としては異例の抜擢人事であった。自分がハンディキャップを背負っていたせいか、こちらが一流大学卒でないことをわかっていて、「お前が博士号を取ればライバルを凌(しの)げる」と、発破をかけられたこともあった。無類の負けず嫌いで、聞くところによると、ゴルフも囲碁もそれなりの腕前だったらしい。

 その人に、利益管理のことだったと思うが、業績の数値を見せられ、厳しく問い詰められたことがあった。部下や協力会社を甘やかしてはいけない、もっと厳しくしろというような趣旨だったと思う。一頻(しき)り、お説教をした後、「自分は、厳しいことを言うが、本来、人間的に意地が悪いわけではなく、立場がそう言わせているのだ」と弁解がましいように付け加えた。気がとがめたのか、なぜ、自分に対してわざわざ、そういうことを言ったのかは分からなかったが、なぜかその言葉が印象に残った。

 その人の性格がどうであったかは正確には分からないので、その言葉が地で行っているのか、立場上厳しいことを言っていたのかどうかは分からないが、一理あると思った。自分が相手が嫌いとか、懲らしめてやろうとか、個人的な思いで話しているのではなく、あくまでも、立場上、あえて厳しいことを言っているのだということをわきまえていることは大事なことだと思った。そうでないと、嫌われまいと、肝心なことをいうのを躊躇してしまうことになりかねない。あえて、相手にそう断る必要もないが、自分で自分を納得させてから、相手に接し言葉に出すことは大切なことであるように思う。それ以来、部下などに注意をするときは、そのように自分で自分を納得させてから、厳しいことを言うように心掛けていた。

 さらに昔の話になるが、子供がまだ小さかった頃だったと記憶しているが、そのときの直接の上司から、子供の育て方の話になって、「言うべきことは、きちんと、言葉に出して言わないとだめで、子供が察してくれると思ったら大間違いだ」と言われたこともあった。いずれにしろ、部下にしろ子供にしろ、伝えておくべきと思ったことがあったら、たとえ、言いづらいことであっても、立場がものを言うのだとわきまえて、口に出して言っておくべきなのだろうと、今更ながら感じている。



風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】