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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

73.心に沁みるあの言葉-その27- 「修羅場の体験が人を育てる」(モーガン・マッコール)

更新日 2025年12月10日


 誰しも期せずして窮地に陥ることはある。「そんなはずではなかった」と、いくら降りかかった災難を嘆いても、後の祭りで、容易にそこからは抜け出せないということは往々にしてあるものである。そうなると、困難を何とか凌(しの)いで、自らそこから抜け出す方法を見つけ出し、自らの意志で実行に移さなければならない。それが自分だけの問題でない場合はなおさらで、責任が重く自分にのしかかる。まさに、頭の中が真っ白になる。そんな状態を経て、気持ちを取り直し、知識を総動員し、あらん限りの力を振り絞って、這(は)いつくばってでも、そこから抜け出そうとする。そういう極限状態ともいえる修羅場の経験が多いほど、人は強くなり、ちょっとやそっとのことではものに動じない、何事にもあたふたしない精神を獲得することができる。肝が据わるというのは、そういう精神状態を指した言葉であろう。

 南カルフォルニア大学ビジネススクールの教授モーガン・マッコールは著書『ハイ・フライヤー』の中で、リーダーシップには修羅場の経験が不可欠だと言っている。マッコールは、人間は辛い時期を越えて初めて思慮深い人として立ち上がることができ、自分が陥った窮地に対して適切な責任を受け入れ、最悪の時に孤独感やコントロール不全感を経験することが、自分自身をみつめるために必要であると述べている。頭で考えただけでは、いかに想像力を駆使したとしても限界がある。ただ机の前で熟考することよりも、実際に行動し試行錯誤することの方が重要な学習となると言っている。

 現役時代を振り返ると、自分の場合も、自分が成長したと思える瞬間は、そのときは辛くて2度と同じような境遇にはなりたくないと思った体験であったように思う。手強い顧客に遭遇し、この仕事を終えるにはこの人と心中するつもりで取り組まねばならないと思ったとき、初めて課長になった途端に、大雨による土砂災害で人身事故が発生し再三警察に呼び出されて絞られたとき、不摂生がたたり思いがけず大病を患(わずら)い九死に一生を得て生死について深く考えさせられたとき、慣れない仕事と単身赴任による生活パターンの変化で心身ともにスランプに陥りどうしたらこのトンネルから抜け出せるか思い悩んだときなどである。そんな経験もあって、新入社員の面接官を務めた際には、「あなたが窮地に追い込まれたと思う時、あのときの辛い体験があったからこそ、今は何とか切り抜けられると思う、あなたにとっての原体験というものは何ですか」と必ず聞くようにしていた。それを聞くことが、その人の行動性向、考え方などを知るのに手っ取り早いと考えたからである。

 今思えば、お先真っ暗な中で、何とか耐え抜き、手探りで解決方法を見出した体験が自信となり、サラリーマン生活を支えてきたように思う。自ら好んで逆境に飛び込むわけではないが、本人にとって、余裕綽々(しゃくしゃく)の軽く流せる体験では成長は期待できず、本気になって背水の陣で困難に立ち向かわないとステップアップしないような気がする。リスクを覚悟でチャレンジし、無我夢中で困難を克服することにより、一皮も二皮も剥け生まれ変わることができ、そういう修羅場の体験を繰り返すことにより、人はスパイラル状に成長していくことが可能なように思う。



風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】