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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

74.心に沁みるあの言葉-その28- 「人間万事塞翁が馬」(中国のことわざ)

更新日 2025年12月10日


 中国のことわざに、「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。この言葉の意味するところは、人が努力するとか努力しないに拘(かか)わらず、運がいいと思ったことが災いを招いたり、不幸と思っていたことが実はそれにより幸運が巡ってきたりというように、幸不幸の予測は難しく、片方ばかりが訪れるわけではないという人生の巡り合わせの妙を説いたものである。

 自分のサラリーマン時代を長いスパンで見ると、まさに「人間万事塞翁が馬」といえる気がする。まず、就職し大学時代学んだ専門(構造)とは違う部署(土質)に配属された。2年目に成り行きとして組合運動にのめり込み、かなり激しく活動した結果、おそらく左遷だったと思われるが、人事異動を命じられ、先行きのわからない新設部署に配属された。そのときは、サラリーマン生活をスタートさせて早々、会社から睨(にら)まれることになり、これから、このペナルティを背負っていくのかと思った。

 ところが、その部署でひょんなことから質、量ともに大きなプロジェクトに巡り合うことになった。仕事に取り掛かると初めてのことも多かったので、それなりに苦労もしたが、そのプロジェクトを何とか仕上げることで、社内でも評価され、自他ともに専門技術者として一人前と認められることになった。そのプロジェクトの内容を取りまとめ国際会議で論文発表する幸運にも恵まれた。

 しかし、徹夜も辞さず日夜多忙を極めた生活をするうちに、不摂生がたたり、30代半ば過ぎに、急性肺炎を患(わずら)い、生死の間を彷徨(さまよ)う体験をすることになってしまった。丁度、時を同じくして日航ジャンボ機墜落事故が発生し、人間は、いつになっても思いがけずに死ぬものだということを、心底、思い知らされたのを今も憶えている。

   そして、病気回復後、一度死にかけた人生なのだから思い残すことがないようにと、予(かね)てから機会があったら取りたいと考えていた博士号に挑戦することにした、早速、先の国際会議で知り合った同窓の先輩の伝手(つて)で母校に赴き、指導教官に思いの丈(たけ)を伝え、論文作成に取り掛かった。それから足掛け4年かかったが、40代半ばで何とか博士号取得にたどり着くことができた。

 すると今度はそれがきっかけで、筑波の研究所に転属ということになった。博士は取得したものの、いわゆる研究畑ではなく、言わば現業のたたき上げだったので、今まで扱ったことのない研究内容とその管理には相当手間取った。それに、研究所の部下はほとんど初対面で外国人も含まれており、すぐには馴染めなかった。そんな慣れない仕事と初めての単身赴任だったということもあり、体調を崩しかけ、2年ほど経ち仕事の区切りのよいところで、再び本社勤務にも戻ることになった。

 そこで次に待っていたのは、国内部門のスタッフとしてマトリックス組織(地域と専門分野)の調整役を担うことであった。これもやりなれない仕事で苦労も多かったが、2、3年経つうち慣れ、それとともに次第に経営に興味を持つようになっていった。そして、経営という学問を正式に学ぼうと、一念発起して会社近くの夜学のビジネススクールの門をたたいた。仕事を終えてからの学校通いは体力的には大変であったが、2年間通いつめMBA(経営学修士)を取得することができた。

 経営を勉強する中で、特に、研究開発と人材育成について精力的に取り組んだが、その成果はできるだけ研究開発の評価や人材育成策などの社の施策に反映させるようにした。その結果、それらの実績が評価され、経営幹部の一員として推挙されることになった。

 このような自分の辿った道のりを思い起こすと、「禍福は糾(あざな)える縄の如し」というように、何が災いし、何が幸いするかを予見することは至難の業であることがわかる。教訓として言えることは、いたずらに喜ばしいからといって浮かれたり、悲しいからと言って落胆したりするなど、一喜一憂するのではなく、常に平常心を保ち、その時々で良かれと思ったことに人事を尽くすようにし、後は天命を待つというのが賢明な身の処し方であるように思う。



風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】