更新日 2025年12月10日
長い人生の中で、誰しも、仕事や家庭の諸々のことで、思い通りにいかないことが重なり、落ち込むことは、往々にしてあるものである。その度に、世の中の無常、不条理を感じ、時として自らの進むべき目標を見失ってしまうことも無きにしも非ずである。そうなると、人はとかく厭世的になり、自分で自分のことを責めたり、自分のことをつまらない人間だと思うようになりがちである。そんな状況に陥ってしまったとき、自分を励ましてくれた言葉がある。
冒頭の言葉は、人生の達人といわれた貝原益軒が、「養生訓」や「楽訓」の中で述べているものである。貝原は「養生の術は、つとむべき事をよくつとめて、身を動かし気をめぐらすをよしとす。心は楽しむべし、苦しむべからず、身は労すべし、やすめ過すべからず。知足の理(ことわり)をよく思ひてつねに忘るべからず。足る事をしれば貧賤にしても楽しむ。足る事をしらざれば富貴をきはむれども、猶(なお)あきたらずして楽しまず」というように、人は自分で自分を責め苦しむのではなく、楽しむべきであること、それには身体を動かし休み過ぎず、足るを知ることが肝心であるとしている。
教育者山崎房一も『心がやすらぐ魔法のことば』や「『心が軽くなる本』、という著作の中で同様のことを語っている。山崎によれば、「ストレスが重なり、にっちもさっちも如何なくなったときの精神構造は、無意識の領域(本能や感情によって支配される=心)が意識の領域(文字や観念によって支配される=意識)に抑え込まれている状態である。罪の意識は、自分の本音とは無縁のきれいごとや建前から生み出されるもので、それらに目を向けていると、自分が卑小でつまらない存在に思えてくる」と述べている。そして「そういう心境になると、劣等感や罪の意識が生きるエネルギーを供給するはずだった心をすっかり打ちのめしてしまう。そういうときは、胸をわくわくさせる喜び、楽しいとか満足だという感情がなければ、気分転換は成立しない。なぜなら、感情問題は理屈では解決できないからである。良い心も悪い心も長所も欠点も持っている、あるがままの自分に思い切って100点満点をつける。現実から目を背けると、その分だけまぼろしに侵入されることになる。心に向けられていた矢印の方向を思い切って180度転換させ、自分を取り巻いている現実に向けなおす。そうすることにより、立派にその難局を乗り越えることができるものである」と説明している。
これまでの人生の中で、何度も失敗し、「あのときああすればよかった」と後悔する度に、反省を通り過ぎて自己嫌悪と罪の意識に苛(さいな)まれることもあったが、そんな折にこれらの先人たちの言葉を聞くと、「これでいいんだ」と思えてきて、不思議と心が落ち着き平静さを取り戻すことができたのを今も憶えている。禅語の中に「任運自在」という言葉があるが、運命に身を委ね、自然の流れに身を任せ、巡り合わせを味わい、あるがままに淡々と過ごすのが、太古の昔から人間に備わったこの世を生きる上での知恵なのかもしれない。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、今は資本金がゼロでも「株式会社」と名乗って起業できるようになりましたから、自分の目算は正しいはずと考えて多くの会社が設立され、その大部分が倒産や廃業する「多産多死」状況になりました。自己過信から簡単に株式会社を設立し、当たらなければやめるだけというのでは準備や覚悟だけでなく、創業の情熱すら稀薄という、企業社会の質の低下が起こります。生き残ってきた会社はどういうハードルをどう乗り越えたかを記す「社史」の役割はさらに大きいものになると思われます。】