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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集

86.合点のいったあの言葉-その5- 「鶏口となるも牛後となるなかれ」(蘇秦【そしん】)

更新日 2026年3月24日


 この言葉は、史記の蘇秦列伝に記されているもので、紀元前3世紀に栄えた韓の宣(せん)恵(けい)王に対して、秦の属国にならぬように説得した際に述べた言葉とされている。鶏口は、鶏のくちばし、つまり小さな組織や集団の長を、牛後は、牛の尻、つまり、大きな組織や集団の末端を表している。この言葉の意味するところは、小さな組織や集団の長の方が、大きな組織や集団の末端にいるよりも良いということである。この言葉は、よく進学や就職の際に引用されることが多い。背伸びして偏差値の高い上位の学校に入ってもついていけず潰れてしまうのに対して、たとえ偏差値が劣っていても能力に見合った学校に入れば、コンプレックスを感じずにいられるので、努力次第で成績も伸び、トップクラスになることができる。あるいは、競争の激しい大規模の会社に入ると、何かとプレッシャーも大きくストレスで押しつぶされそうになるのに対して、規模は小さいがさほど競争の激しくない中小規模の会社に入れば、ストレスを感じずに過ごせるので自らを成長させることができ、昇級などの様々なチャンスが巡ってくるというものである。スポーツに例えて言えば、強豪校の中でレギュラーを取るのは大変であるがやや劣る学校ならば、レギュラーを取るのも比較的容易なので、それをチャンスと捉え大会に出場し勝利することができれば、それが自信となり、ステップアップすることができるというものである。

 自分の人生を振り返ると、この言葉が思い当たるのは、大学の選択においてである。高校時代、大学を選ぶにあたって、同期の多くは一流大学に行くことに拘っており、浪人してでも少しでも名の知れた上位の大学を目指す人が多かった。一方、自分の場合は、担任教師からは浪人してもっと上の大学を受験するように勧められたが、何しろ、早く技術を身に付けて、開発途上国の援助に行きたいと思っていたので、どこでも技術を習得できれば良いと思い、現役で合格した大学にそのまま進学した。しかし、入学すると、まさしく、学園紛争の真っただ中で、とても、大学を取り巻く政治社会環境にそっぽを向いて学業に打ち込む気にはなれず、その結果1年留年してしまったので、鶏口と呼べるようなトップクラスになることはできなかった。結局、同窓の中で鶏口のような立場にあるのかもしれないと感じたのは、就職して10年以上経ってからのことであった。

 就職して5年目から、調査研究的な仕事に携わるようになり、その結果を、学際的な上司の指導の下に、毎年、学会で論文発表をするようになった。発表の場において、初めは余り周囲を意識してはいなかったが、それを何年か続けるうちに、まさに、継続は力で、次第に社外の同分野の技術者からも認められるようになり、一目置かれるようになった。当時、学会の討議の場で意見を戦わせるのは、ほとんどが所属は産学官と違っていたが一流大学出身の人たちばかりで、同窓の人と顔を合わすことはほとんどなかった。そんな折、36歳のとき、南米で開かれた国際会議で論文発表する機会に恵まれ、日本から、各組織を代表する専門家がチームを組んで参加することになり、自分もその一員となった。その際、それぞれの出身校を正面切って明かすことはなかったが、メンバーのほとんどが一流大学の出身者で占められていることは、会話の節々から察することができた。そんな状況だったので、自分としても、あえて、自分から出身校を告げることもなかろうと思っていたところ、あるとき、旅の打ち合わせが終わった懇親会の場で、参加者一覧の中に、同窓会名簿で見覚えのある名前を見つけたので、思い切って、その人に声をかけてみた。初め、その人は怪訝(けげん)そうな風であったが、同窓と分かると、目を丸くし驚きと共に笑みを浮かべて喜んでくれた。その人は、同窓の中で初めて東大で学位を取り、学内でも名の知れた実力者で、その人にとって、学界で活躍している同窓の後輩と会うのは非常に珍しいことで、その稀少性ゆえに驚いたようであった。もしも、学会で活躍している人の多い大学の出身者同士だったら、お互い、これほど親近感を抱くこともなかったような気がする。その後、その人には大変懇意にしてもらい、学位を志したときも、その人の紹介で母校に赴き、足掛け4年かかったが、博士号を獲得することができた。建設系の学科における論文博士第1号であった。

 総じていえば、けして一流とは言えない大学に入り、在学中も鶏口と呼ばれるようなトップレベルにいたわけでもなかったが、社会に出てから、けして意図的に振る舞ったわけではなかったが、巡り合わせと、運も手伝って、いつの間にか同窓においては鶏口と言えるような立場になり、それが縁で、学位チャレンジのチャンスが巡ってきて、自分なりに努力もしたが、何とかゴールにたどり着くことができた。それがアドバンテージになり、社内においても、他の一流大学出身者に引けを取らないようなポジションにつくこともできた。あくまで、結果論かもしれないが、同窓であることが幸いしたことになる。人生は一回性である以上、もしも浪人して上位の大学に入っていればどうなったかは分からないが、これほど、同窓であることで助けられることもなかっただろうと今にして思っている。


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」や「記念誌」に関して言えば、内容の独自性や面白さはあったほうがいいが、それよりもむしろ業界内や学会内での体面や権威性を維持することを前提条件とする企業や団体は少なくない。制作会社としては、それはそれとして認めたうえで、なおかつ、そこからいくらか外れようとも、「こういう企画にした方がいいと思います」と提言することを怠ってはならない。】