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社史編纂・記念誌制作

風間草祐エッセイ集 社史とともに歩む社員の人生

90.合点のいったあの言葉-その9- 「面従腹背」(会社OB)

更新日 2026年5月10日


 サラリーマン生活で謝罪はつきものである。自らの責任の場合もあるが、部下が不祥事やトラブルを起こした場合、上司として謝りに行かねばならないことは少なくない。明らかに自分の方に非がある場合は仕方がない面もあるが、相手の方に非があるのに、立場上、頭を下げなくてはならないということも無きにしも非ずである。

 顧客との間は、甲と乙の関係がある。甲である顧客からなんらかの理由でクレームが出された場合、理屈は抜きにして、まずは、その怒りを収めるために頭を下げに行かねばならない。良く調べると、先方の我がままであったり、要求が理不尽であったりするという場合でも、甲と乙の関係が歴然とある以上、謝罪しなければならないということは多い。

 現役の頃、羽田空港の沖合展開事業に関する仕事を随分やった。そんな中で、トラブルが生じ同僚と二人で謝りに行ったことがあった。帰りがけに、その同僚から「面従腹背」という言葉を知っているかと尋ねられた。その同僚は、かつて役人でOBとして会社に入ってきた人だった。OBの役割は、自分がかつて勤めていた機関(故郷と呼ぶ)に仕事を取りに営業に行くのが主な仕事であるが、もう一つ、重要な仕事がある。それは、トラブルや不祥事が生じたときに謝罪に行くことである。同僚にとって、謝りに行く相手は、かつての後輩にあたり、年下の者に対して平身低頭、頭を下げなくてはならないということは、本人にとっては、心穏やかならぬところがあったかもしれない。そういうときに「面従腹背」という言葉を頭に浮かべるのだとその同僚は言っていた。何も自分を捨てるわけではない、自分の意見を曲げるわけでもない。一時、本当の気持ちを腹の中に置いて、表面上は神妙な顔つきで頭を下げれば済むことなのだと、その同僚は考えていたようであった。

 一担当者、組織の長、経営者、40有余年に及ぶサラリーマン生活を通じて、程度の差こそあれ、数え切れないほど謝罪に行った。民間会社である以上、謝罪はつきものであるように感じられた。著しい場合は、頭を下げるだけでは収まらず、同行してもらった役員の名刺が投げられ、ペナルティとして落とし前(金銭)を要求されたこともあった。初めて「面従腹背」という言葉を聞いたときは、言行不一致、二枚舌のイメージがして、悪い行いであるかのように感じたが、幾度か同じ経験を積むうちに、必要悪かもしれないが、時には、そういう対応もできないと、世の中、うまく収まっていかないと思うようになった。思っていることを、そのまま吐き出せば、啖呵(たんか)を切れば、自分としてはすっきりして気持ちよく、傍(はた)から見ても、潔く格好よく映るかもしれない。しかし、年と共に、けんか別れすればよいわけではなく、何らかの方法で和解し、歩を先に進めなくてはならない以上、一時、演技するのも、ある種の生活の知恵みたいもので、苦肉の策と思えるようになった。


風間草祐エッセイ集 目次


※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、顧客との関係で理不尽な叱責を社員が受けることはままあるだろうが、そうしたことが本文に書かれることはまずない。だが当事者はそれを読んでひそかに思い出すのである。それが社史が書かれること、読まれることの一つの意味でもある。書かれない事にも意味があることを思いながら書くのが社史ライターである。】