更新日 2026年6月12日
この言葉は、鎌倉時代の軍記物語『曽我物語』に由来するものと言われている。その意味するところは、人に親切にしたり、情けをかけたりすることは、相手のためだけでなく、巡り巡って、最終的に自らに幸をもたらすというものである。よく、情けをかけることはその人の為にならないと誤用されことがあるが、本来の意味は、仏教用語でいうところの「因果応報」とか「善因善果」と同義の世の中の摂理ともいえるもので、単なる親切心の発露だけでなく、自己成長や幸福にもつながる深い意味があるものである。
現役時代、50代になって全社の人材育成を担当する立場になってから、会社における企業倫理の必要性を説くにあたって、この言葉を引用したことがあった。当時、会社では社内不祥事が原因で指名停止などが重なり業績が低迷し、社員に法令順守(コンプライアンス)と企業倫理を徹底することが要求されていた。通常、企業は、営利団体である以上利益を追求するわけであるが、ともすると、日々の事業活動に気を取られているうちに、いつの間にか企業倫理に背いた方向に向かっていることに気づかなくなっていることが往々にしてあるものである。しかし、一度、設計や施工ミスなどの瑕疵問題や談合問題に代表される独占禁止法違反などの法律違反を起こすと、その影響により、会社は経営上の大きな打撃を受けることになる。そのような企業不祥事を防ぐために、会社は社内に企業倫理規定を設けるわけであるが、企業倫理は、法律のように明確な罰則規定に基づくものではなく、法律を補完し社員に倫理的行動を促すものである。具体的には、行動規範を設け内部統制を図るものであるが、肝心なのは、社員一人ひとりがそれを遵(じゅん)守(しゅ)ることであり、そのためには規範を行動レベルまで落とし込み、社員のインテグリティ(言行一致)を確保することが重要となる。
企業倫理を守ることは、たとえば事業活動においてSDGSの精神に従い自然環境保護を重要視するといったことを意味するので、一見すると、利益追求を妨げブレーキをかけるもので、企業として二律相反となり相(あい)矛盾するかのように見える。しかし、よくよく考えると、そもそも企業は社会に受け入れられ認められて初めて事業活動ができるので、そのために社会の共通モラルを保証する企業倫理を徹底することは遠回りのように見えるかもしれないが、「情けは人の為ならず」というように、巡り巡って会社の永続性を担保するのに貢献していることになる。
ただし、誤解してならないのは、この言葉はけして、見返りを期待した「give and take」のような処世術を説いた言葉ではなく、たとえリターンがなくとも善意を施すことを尊ぶ言葉であり、損得勘定抜きの無償の行為が結果的として奏功することになるという意味であるということだけは、明白にしておくべきことのように思う。
※風間草祐
工学博士(土木工学)。建設コンサルタント会社に勤務し、トンネル掘削など多数の大型インフラ工事に関わる傍ら、自由で洒脱な作風のエッセイストとしての執筆活動が注目される。著書に『ジジ&ババの気がつけば!50カ国制覇—働くシニアの愉快な旅日記』『ジジ&ババのこれぞ!世界旅の極意—ラオスには何もかもがそろっていますよ』『サラリーマンの君へ—父からの伝言—』『ジジ&ババの何とかかんとか!100ヵ国制覇』『すべては『少年ケニヤ』からはじまった: 書でたどる我が心の軌跡』『人生100年時代 私の活きるヒント』『風間草祐エッセイ集 社会編: —企業人として思うこと—』など。「社史」を完成した企業の記念講演の講師も受託する。【※「社史」に関して言えば、社員の仕事というものは必ずチームワークなのだから、協調性が保たれてこそ良い仕事ができるわけである。しかしメンバー各々は各々の考え方や価値観をもっているので、それがチームワークを阻害する場合は何らかの工夫が必要になるという話。そして一つひとつのの「達成」こそが小さな思いやりと協調の大切さを自覚させる機縁となって、人は成長していくのである。そのことが自ずと伝わる社史こそ良い社史であり、そういう会社こそ良い会社なのである。】