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社史編纂・記念誌制作

社史に学ぶ

「100年の物差し」

 先日、某乳製品メーカーの100年史ダイジェストを書かせていただいた。
 100年をどう捉えるか、歴史は時間軸が基軸になるのだと思う。
 時間軸といえば、恐竜好きの5歳になる孫が、白亜紀とかジュラ紀の話をつい昨日のことのように話すが、これは微笑ましい。しかし、人は成長とともに色々なことを言い出す。かつて私の部下だったY君(当時20歳後半)は、自分が生まれる前のことに全く興味を示さなかった。無駄だと言っていた。否定はしなかったがやれやれと思った。Y君ほど極端ではないが、私も子供の頃は、自分の生まれる少し前のことにあまり興味がなかった(戦国時代には思いを馳せたが)。両親は太平洋戦争のことを、祖父母は関東大震災のことをほんの少し前のことだと話してくれた。私はほんの少し前のことが、今の状況とかけ離れていることにピンとこなくて、「へぇ〜」「ふ〜ん」という感じだったと記憶している。若い頃の時間軸は、大概が未来に目盛られているのだ。
 時間軸は、50歳を過ぎ、60歳になると大きく変わってくる。最近は人生100年時代とか言う人もいるが、50年の軸の目盛が細かくなり、100年の軸の目盛がちょうどいい感じになる。
 今、私には太平洋戦争も関東大震災も、ほんの少し前のことになっている。父親が亡くなった際、戸籍を遡ると私の三代前は明治どころか、安政とか天保の生まれだったのだ。西暦2000年のミレニアムなど、5歳の孫ではないが、つい昨日のことだ。
 話を本筋に戻すが、某乳製品メーカーの100年史は、地元企業でもあったことから、興味深く読み、ダイジェストを書くことができた。今、某卸売業の100年史の原稿を執筆している。私にとって100年史は、読み応えも書き応えもある。そして、ほんの少し前の知らなかったことを学ぶことは楽しいと感じられている。
   社史を含め歴史書は、そこに書かれた当事者たちが読むことは少なく、未来の人に対して書かれるのが本質だ。わが師は、社史の制作理念の中で「未来の人が今書かれた社史を読むのはどういう目的か、基本は彼らが良き世界を築くための参考にするのだと思われる」と書いている。
 歴史の時間軸は、年齢、世代、育った環境、過去への興味など、様々な要素により、人それぞれなのは当然だ。しかし、私自身が社史と自分の時間に何かしらの因果を見出し、その接点を学び得たように、書き手として、誰もが計れるわかりやすい時間軸の物差しを用意し、正しく書かれた社史を未来の人に届けたいと思う。

 

ライター S.S.