自費出版-社史・記念誌、個人出版の牧歌舎

HOME > 社史編纂・記念誌制作 > 社史に学ぶ > 「当事者たる部外者」”

社史編纂・記念誌制作

社史に学ぶ

「当事者たる部外者」

 社史制作、特に通史はライターに執筆を任せていただけることが多い。ライターは、部外者であって、部外者が「当社の歴史」を書くことになる。

 ライターは、素年表や関連資料をもとに取材を行い、周到な準備をしてプロット(筋・構想)を作り上げ、執筆に取り掛かる。この時点でライター(少なくとも私の場合)は、当事者として「当社の歴史」を書いている。
 しかし、ライターは関係者(その企業の役員や社員)ではない。周到な準備を持ってしても、社史編纂委員会の企画に合致していても、どうにもならないことが起きる。
 ある企業の50年史を執筆した際、社史編纂を統括する役員に原稿の朱入れ(添削)で「トル」(削除)をこれでもかというほど書き込まれた。理由も書かれていて「○代目○○社長に関する記述が多すぎる!」だった。
 もちろん歴代社長の功績をバランスよく書き記すことができたらよいのだが、そもそも取捨選択するほどエピソードもなかった。取材では名前さえ出てこない社長もいれば、活躍を称えられる社長もいた。実はその企業の社長は親会社からの転籍で任期も決まっている。就任時期の経営状態等もあると思うが、それぞれモチベーションが違っていたことも想像できる。
 取材対象に偏りがなければ、前記した○代目○○社長の様々な功績は素年表にも記されているし、取材に基づく客観的な事実と判断できる。
 残念だがライターが判断できるのはここまでだ。この先には関係者でなければ知ることができないことがある。例えば、派閥的な背景とか、その社長の活躍の裏に俗に言う黒歴史があるとかだ。実際に社史編纂委員会の担当は「何故、トルなのでしょうね」と関係者にもかかわらず、本当に理由がわからないようだった。担当も上司に背くことはできず、ライターは相談できる唯一の関係者に従うほかなかった。
 
 それでもライターは事実を薄めてはならないと思う。ライターは技量でそこをカバーする。時系列を事象別に書き換える、功績の括り方を変えて部下の活躍にする等、ライターの個性がはみ出ない範囲で、文章を工夫して事実を原稿に留める。結果、初稿と変わらぬ内容で4次原稿が校了となった。

 会社員時代、マネジャーとは「なんとかする人(ピーター・ドラッカー)」だと学んだ。ライターもまた原稿をなんとかする人でなければならない。それは安易な忖度ではなく、顧客の意向と書き手の使命感というせめぎ合いを最善の落としどころとして「なんとかすること」であり、それこそが当事者たる部外者の責務なのだと思う。
 

 

ライター S.S.