社史制作(会社史編纂)・記念誌制作、個人出版支援の牧歌舎

社史編纂・記念誌制作

社史・記念誌の参考事例集

s−S社40年史

要素内容頁数写真色数備考
口絵等114
挨拶444
11644
中扉
201
目次
301
通史 S社40年史 通史ダイジェスト 第1章 創業期の商社ビジネス、海外取引創業者○○○○は、前職でCdS(硫化カドミウムセル)やフォトダイオードの営業マンだった。 1970〜73年頃、ブラジルで25φ径CdSの市場拡大が見込まれていたが、その供給がひっ迫していることを聞きつけた○○○○は、1974年、S社(以後、当社と記載)を創業し、社長に就任、CdS売り込みのため、すぐにブラジル出張を決行。商社ビジネスが始まった。  しかし、売り込み先であるブラジルのメーカーの購買部長も、当社訪問のため、行き違いで日本に出張していた。  購買部長の応対は、社長の妹○○がおこなったが、皆目わからない。社長が帰国するまで、購買部長は日本に滞在し、無事に日本で商談をおこなうことができた。 第2章 転換期、センサ製品化へ  1976〜80年頃、当社は、光センサ「ネオンカプラ」を開発し、電話機メーカーへ売り込んだ。  当時、留守番電話のような異なる電圧回路でリレーされる電子機器では、光を使ったカップリングセンサは安全回路として最適であった。  製品化に向けては、樹脂の気泡問題があったが、線香の煙を利用して泡を消す画期的方法により問題を克服し、高品質との信用を得ることとなった。 第3章 光センサを事務機器へ  ネオンカプラで事務機器業界への足がかりを作った当社は、キーパーツとなる光センサを製造、これが大手数社に採用され、事務機器の大口市場である複写機、印刷機導入への参入を果たした。  特に、1983年12月に出願したフォトリフレクタは、画期的な技術であったが、まだ企業規模が小さかった当時、特許の重要性への認識も浅く、特許費用を維持することもままならず、特許を放棄した。  その後のコピー技術の基礎となるこの特許を維持していれば、当社は早期段階で飛躍的に発展していたかもしれない。 第4章 輸入商品取り扱い時代  1980年後半〜90年頃、当社は、光センサの拡販により業界での地位を確立しつつあったが、企業として新規事業参入を模索した。  縁あって米国○○○○社の水質計を扱うことになり、輸入代理店としてビジネスの成功例となった。  同時期、米国○○○社のTV画像パターン検査装置の輸入代理店も受け持ったが、これらの販売展開には、従来の光センサの販売部隊とは違う専門知識が必要で、あらたに機器事業部を設立した。 第5章 医療用LED、バイオLEDの開発  1989年、米国○○○社は、医療用の検査計市場に着目し、試薬メーカーが開発した検査計の試薬反応を測定するための735nmという特殊な波長を出すLED(光源)を探していた。  その要求を満足するLEDは、当時、一般に存在しなかったが、米国○○○社より当社にオファーが入った。 ○○○社は、30社へ同じオファーを出したが、可能性があると答えた企業は、当社だけであった。当時、700nmの波長を出すLEDがあり、735nmを作れる可能性があることを当社の技術員は承知していた。そして、半導体材料メーカーと開発に成功、その後も特殊波長のLEDを独自開発し、当社の中国進出へつながる足がかりを作った。さらに、1990年後半〜2000年代、PDT(光力学療法)用途の医療用特殊LEDを開発、血液性癌への手術治療や転移を抑える等、多大な効果をもたらした。  また、1998年頃、バイオ用LEDを開発、太陽光と同等の光量子を照射できる光源装置は、植物の促成栽培が実証された。  日本の学会が、レーザーに注目していた時代、当社は、いち早くLEDに注目した最初の企業であった。 第6章 青色LEDの登場  1993年11月、○○○○社が新しい青色LEDを作り出したと新聞発表された。  各社は、その信ぴょう性を疑った。技術革新において100倍の光度は、光素子ではありえないことだった。当社は、発表当日、技術部長を先方に伺わせ、LEDサンプルの測定をおこなった。新しい青色LEDの発表時点ですぐに注目し、行動した企業は当社だけであった。  のちに創業者○○○○は、先方からこう言われたと話している。「S社さんが真っ先に来られました。発表してすぐに来られたのはS社さんだけでした」  このことが、1994年から今日に続く○○○○社の正規代理店という他社が望んでも得ることができない地位を築く礎となった。  この時期、当社は○○LEDを拡販し、2003年には年商が過去最高に達した。 第7章 カスタムから標準製品へ  光通信の用途が広がり、光素子の主役はCdSからLEDと光センサへ移った。  当社は、メーカーの各種位置検出制御用途ごとにカスタムセンサを開発製造していた。  しかし、市場要求は似たような引合いも多く、標準品として売れば、カスタムの高額なイニシャルも必要なく、価格競争力を上げることができ、量産化への道が開けると考えた。  そこで、売れ筋となる商品設計で標準品をピックアップし、初の「オリジナル光センサ カタログ」を製作、130点以上の標準品を掲載した。  これらの標準製品を基軸として売り込みを開始、関西地域への営業展開もおこなった。 第8章 中国市場への展開  1997年、当社は、中国本土で光センサの部品生産および組立加工を開始。2007年には合 併企業を設立した。 第9章 自社工場・設備拡充  1998年、○○○市に自社工場を設立。2001年には、本社研究所を竣工し、最新のクリーンルーム設備を同所内に導入、このクリーンルームは、当時最新の青色LEDもPC基板から実装、組立加工ができるものであった。  工場は、技術設計面、品質面で必要な最新設備が導入され、2009年11月には、ISO9001:2008を取得、品質マネジメントシステムが運用されだした。 48331中扉、章扉あり
特別企画扉111
座談会871
インタビュー421
一言メッセージ801
寄稿411
資料編801扉あり
年表社内の出来事・日本と世界の動き901扉あり
編集後記社史編纂チーム101
奥付発行:S社 編集:社史編纂チーム101
数字合計
112113