次のどの書き方が社史の文章として適当か。
A.19○○年○月に当社は新工場の建設を決定し、用地の選定作業を開始した。
B.19○○年○月に新工場の建設が決まり、用地選定作業がスタートした。
C.19○○年○月に新工場建設が決定され、用地の選定作業が開始された。
基本はAである。なぜならば、社史を作る主体ははっきりと「当社」なのであり、自らの意思で自らの歴史を語ろうとするとき、主語が自分であることを婉曲に表現すべき理由というものは通常ないからである。そして敢えてそれをするのは韜晦とか責任回避の気配を感じさせるとともに、文章一般の基本的条件である「明快さ」をいくらかでも損なうものであるからだ。
しかしながら、文章は明快であることが好ましいが、それ一点張りで最も好ましい文章が出来上がるなら苦労はない。上記の例でいけば、「当社は」「当社は」が無数に出てくることになる。それは目障りであるから、時々、あるいは多くの場合、分かり切った主語を省くことになる。たとえば、「19○○年○月、新工場の建設を決定し、用地の選定作業を開始した」と、ある章の初めをいきなり書き出しても、ほとんど奇異には感じられぬものである。分かり切った「当社は」で読者に無駄な時間をとらせたり苛立ちを与えたりせずに済むメリットの方が大きい。しかし、ずっと省略ばかりでも、妙に急いだ印象になって文章が軽くなったり荒っぽいものになったりしていけない。所々の急所ではやはり「当社は」を入れていかなければシマリと落ち着きがなくなるというものである。必ずしも文章の頭ばかりでなく、「新工場の建設を当社は決定し」と語順に変化をつけたりするのも可である。
基本的にはこのように「当社」を主語とする文脈を保つべきなのだが、文章というものは一筋縄ではいかないもので、実際に書いているとこの基本方針がさまざまな理由からそぐわない場合も出てくるものである。そうした場合には、B、Cをニュアンスに応じて取り入れることになるが、Bはよいとして、Cの受け身文の場合はそれなりの意味上の主語を伴うべきである。「役員会により」とか「○○委員会により」とか「○○プロジェクトにより」とかの明示である。意味上の主語のない受け身文は無責任さ、未成熟さ、不決断、ごまかし、横着さなどを感じさせるものであり、好ましくない。