社史の企画立案にあたって、「内部向け」「外部向け」のどちらに重点を置くかを必ず第一番に検討する「牧歌舎方式」は、長年にわたる経験から割り出された効率的方法であると同時に、当然ながら合理的妥当性の裏付けをもつものである。
人間の言語活動は主に「意思伝達」の動機から生まれたものであることは論を俟たないが、言語の目的はそれだけでなく、「思考形成」という面があることは広く知られているところである。すなわち人は「言葉によって考える」のであり、その言語活動の動機も人は備えていることを忘れてはならない。
一般に、刺激に対する動物の反応で最も短時間で行われるものは「反射」である。単細胞生物やいわゆる下等動物の行動はほとんどこれに属する。人間の行動でも「膝蓋腱反射」や「嚥下反射」などはそれである。
これに対し、刺激の感受からそれへの反応までの時間がいわゆる高等動物になるほど長くなる傾向があり、それは思考によるものであるとされる。反射でなく、より知的な対応を行うための検討の過程が刺激と反応の間に介在してくるのである。
そして人間は、言語を駆使して思考するので、時間をかけて最善の行動を選択でき、それゆえに高等な動物とされているわけである。
端的に言って、人間の言語活動は「思考」と「伝達」の二大動機の発露というべく、そのことが歴史記述という言語活動にも対応するのである。
つまり社史の記述の場合にも、それは主として何かを「思考」するための言語活動なのか、主として何かを「伝達」するための言語活動なのかを前もって自覚することで、その二大動機を秩序化することができ、あとの運びをスムーズにできるというわけなのである。
そういう意味で、「内部向け社史」というものは自らを見つめ直し、何かを考えるための社史であるということができる。一方「外部向け社史」というのは何が起こったかを伝達することに主眼が置かれた社史であるといえる。
例えば、内部向けに主眼を置いた社史では「OB寄稿」「関係者の座談会」などは大きな意味をもつので内容構成に大きく組み入れてよいが、外部向けに主眼を置く場合にはこれらの企画は小規模にしたり採用しなかったりする選択につながる。採用するにしてもテーマや色合いが異なるものになるであろう。
通史本文においても、内部向けに主眼を置けば懐旧談や詳細な裏話、人事事項などは重点的な項目になりうるが関係者がすべて知る製品などの説明は簡単になったり省かれたりしうる。これらが外部向け社史では逆転しうることになる。
言語が人間に対して持つ究極の本質が、社史の企画立案に根本的なところで関わってくるという事情を、牧歌舎方式は反映しているのである。